深夜、闇の中を駆ける
白装束の女性がいた。その姿は半ばまでが透明で、決して生身の身体ではないと知れる。稲本由乃その人だった。
彼女はふわふわと漂うような動きを見せながら結城コーポレーション本社ビルへの道を急いでいた。
(……まだ間に合うはず……)
兄が先刻出てきて教えてくれた。志津馬の幽霊を出現させるに至った『媒体』がある、と。そしてそれはまだ、志津馬の存在を留めていると――。
長くは持たないが早く手を施せば、あるいは。
それがやっていい事かいけない事かは、既に関係なくなっていた。奏流のこともあったし、何よりも彼女がそれをしたかった。
結城本社が見え始める。点々と窓に電気がついている。彼女は玄関のガラスをすり抜け、兄に教えられた地下への通路を辿った。
地下倉庫には人の気配があった。少々困惑する。
「――あ」
その誰かが、彼女に気づく。彼女は名を知らないが結城保幸、才蔵眼の持ち主にして結城家を守る術者である。
彼が式服を纏って何かを一心に祈っている最中だったことに、彼女は気づいた。彼の前には設計図、――即ち。
目と目を合わせる。互いの目的にほとんど差はないと思った。
二人は設計図の前に並んで、優しい祈りを送りつづけた。
――そうして、三か月が過ぎた。
三か月間友典はことあるごとに長兄に事情を問い詰めつづけ、秀一はそれを毎回毎回あっさりとあしらっていた。時にはお馴染みのいたずらを仕掛けて追い返したこともある。
が、その秀一は秀一で、祖父や父や弟たちから「そんな面白いことに何で誘ってくれなかったんだ」との苦情を受けつづけていたというのだからどうしようもない。この性格は完全な遺伝だ。なぜ友典に遺伝しなかったか、そちらの方が不思議である。
そしてその三か月のうちに、結城家の兄弟は六人から七人に増えた。兄弟の大半にとってはそれは青天の霹靂であったが、秀一と保幸だけは、
それが意味することが何であるかを知っていた。
命名、
時実。少々性別の判り辛い名をもらったその赤ん坊は、三千三百五十八グラムの健康な男児である。
一方、英晴はずっと変わらなかった身長が伸び始め、三か月で三センチ、つまり月一センチと言う凄まじい成長を見せている。まだ止まらないというから、そのうち由乃に並ぶだろう。祖父の正玄はほっとその分厚い胸板を撫で下ろしたという。
それから秋はその正玄に再び弟子入りして、格闘技を学び始めた。本人曰く、
「夢の中とはいえ、ドア蹴っ飛ばしたときに
鈍ってるのがわかっちゃったのよ。そのままほっとくのも癪でしょ?」
……だ、そうである。
由乃はこの期間をずっと山に篭って過ごし、能力に磨きをかけて兄を完全な霊にすることに成功した。封印を抜け出て以来希薄だった彼はまともな霊的密度を取り戻し、よりいっそう過保護に由乃を守る守護霊となっている。
一粋は腰を痛めた父親の看病をしながら酒屋を切り盛りし大学に通って医学を学びつつバイト、という死にそうなスケジュールで動いている。しかし二か月ほど前から、いつも赤い服を着た小柄ながら怪力の少女と、いつも面倒くさそうにしているがやることはやってくれる目つきの悪い青年が店を手伝っているのでかなり楽になったという。
皆が、さしたる事件もない平穏な日々を過ごしていた。
そして、誰も知らない機械の少年と少女の交流は。
「奏流は何が好き?」
「……」
桜都の前で由乃と答えるのも憚られて、奏流は考え込む。
「……」
まだ考えている。
「……!」
なんだか耳や頭から煙か炎でも吹き出して来そうな形相で考え込んでいる。
「……あ、思いつかないなら、いいよ?」
桜都は苦笑して――『父親』譲りの仕草だ――、まだ人間世界に慣れない奏流の頭をぽんと撫でた。
しかし[STEB‐SOUL]をめぐる一連の事件は、思いもよらない影響を一つ、置き土産とばかりに残していた。
ある日突然、秀一は保幸を呼び出したのである。
「……時実は機械関係の才能がありそうだな。[STEB‐SOUL]に興味があるようだ」
保幸は長兄が何を言いたいのかわからず、ただ首をかしげた。そんな事は当たり前のはずである。
「まだ三か月にもならないのに、工具箱を欲しがるんだ。親父も困っている。怪我するんじゃないか、ってね」
やはり何が言いたいのかわからない。時実は『彼』でありその記憶を受け継いでいるのだから、その行動に不思議はない。大体がそうするように言ったのも、秀一本人だったはずなのだ。
「才能と言うよりは、これはもう前世の記憶とも言うべきもの、なんだろう?しかし、一つ問題がある――」
言って秀一は、保幸を研究室の一つに案内する。
そこには熱心にロボットの研究に打ち込んでいる藤沢志津馬がいた。
「――!!?」
普段平静な保幸が、声にならない声をあげて驚いた。
「そうなんだよ……ある日突然ここにまた出現しててね……」
一体どっちが、
本物の藤沢志津馬なんだ?
そこに時実を乗せた乳母車が通りかかる。
「あら保幸、久しぶりね」
母親に話し掛けられても、保幸はすぐに返事ができなかった。
そんな彼の傍らで、赤ん坊の時実が志津馬に手を振り、志津馬はにっこりと微笑みを返した。
……騒ぎはまだまだ、終わらないようである……。
(一応の)―FIN―
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