「十時だ!」
 友典がそう叫んだ瞬間、友典邸の前の道路に白衣の人影が現れた。
 羽澄藤四郎――即ち藤沢志津馬、である。ただしその彼の本名を知っているのは由乃と秋、そして奏流の三人だけだが。
『さあ、始めましょうか』
 少し距離があって声は聞こえない。だが唇の動きからそう呟いたと知れた。
「――待て!」
 んなこと言ったって待つ訳ないよな、とぼやきながら英晴は走り出した。周囲の風景にない際立った白色をしているだけに、藤四郎の白衣はよく目立つ。
「足で敵うと思うなよ……!?」
 しかし――しかし何故か、距離がさっぱり縮まらない。全国を狙えとまで勧められる英晴の脚力なのに、運動が得意そうでもない藤四郎に追いつけないと言うのはいくらなんでもおかしい。
「おかしいぞ……!」
 先に気づいたのは友典のほうである。
「英晴、藤四郎は何かしてるぞ!」
「何だってー!?」
 無論音速を超えて走っているわけではないが、耳元の風の音がうるさくて聞き取れない。
「藤四郎は何かしてる!いくら走っても近づかないだろ!?」
「あ……!」
 にやり、となんだかひどく嬉しそうに、先を行く彼は笑うのである。
「!」
 一緒に走り出していた由乃と秋は、その笑顔にどこかしら、結城秀一に似た所を見出した。
「――まさか!?」
 秋が囁くように叫び、由乃が応える。
「いいえ、あれは志津馬……藤四郎さん本人です。ですが……」
 被って見える・・・・・・
 由乃には、二人分の影が重なって見えた。全く同じ容姿の、紛れもない藤四郎が二人。片方は笑っているが片方は真剣そのもので、
「何、何なの!?」
「二人いる……重なってます!」
 まずい。
 このままでは最悪、本物と偽者が別れたときに区別がつかない。
「――困りましたね」
 辛うじて彼女たちより前を走っている――秋と由乃がわざと速度を緩めているためだ――一粋に聞かれないよう少し声を落とす。奏流はもう前の二人に追いついているようだ。この世界では彼は万能なわけだから、聞こうとすればこちらの会話など聞き放題だが。
(……それは、どこにいても一緒ですしね)
 きっともうこちらの思惑など筒抜けだ。今さら構うことではない。
 しかし――どうすればいいだろう。どうすれば二人の区別ができる?
 その時片方の影がすばやく右横の道にそれ、藤四郎は二手に分かれた。英晴と友典、そして奏流は気づかずにそのまま直進する――が、由乃はまだ、迷っていた。

(――気づいたか?)
 まっすぐ走りつづけている影……『内部』の結城秀一は思う。
 この行動は考え抜いて思いついた結果だった。志津馬の外見データをコピーして、友典たちを二手に分けるのである。
 志津馬と奏流を一対一にしては結果がわからなくなってしまうが、しかし全員を一同に会させたのではどうにも都合が悪い。彼らの前で志津馬が躊躇すれば奏流が圧倒的に勝り、逆ならば逆の結果になるだろう。二人のどちらも友典たちに嫌われたくはないのだ、彼らの前ではあまり思い切った行動もとれまい。
 ならば――事情がわかっている人間に仲介をさせればいい。
 事情を知るのは由乃と秋。そしてできることなら、由乃にその役目はして欲しかった。彼女は恐らく、自分にも見えないことまで悟っている。それはもしかすると、『三人』全ての行動を読みきって。
 ――いや、そこまでは行かないかもしれないが……。
(秋ちゃんじゃ、少々荷が重いからね――)
 何気なく、呼び名を少々馴れ馴れしいものに変えてみたりもする。
(単純な連中はそのままついてきたな)
 もとより志津馬の目的は奏流を――奏流一人だけをおびき出すこと、であるのは知っている。できれば男勢は近づかないでいてくれたほうが話がややこしくならなくていい。
 だがしかし――友典と一粋の間にちらりと一瞬、立ち止まっている由乃と秋が見えた。
 ……まずい、このままでは策が外れる。買いかぶりすぎたのか。
 どうする――奏流はやがて気づくだろうが、どうやって後続の二人に知らせればいい?
(……厄介な……!)
 いらいらしている目の前に、突如竹林が立ちはだかった。道の真ん中から竹の子が大量に伸びてきたのである。あっという間に成長したそれは、天を貫かんとでもするかのようにそびえ立つ。
「……よ、よりにもよってこんな時に!」
 さすがに秀一も、愉快犯そのものの『自分』の性格を呪った。

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