「ちょっと何よ、どうしたのいきなり!」
「あ、――ああ。いきなり立ち上がって済まない、脅かしてしまったかな?」
 秀一は早まった鼓動を感じながら座りなおした。だが高揚はさっぱり収まらない。
「――ようやくわかった、わかったんだ。これが動機だよ。悪意からなんかじゃない、これが本当の理由なんだ!」
「って、ちょっと!どうかしちゃったの!?話がぜんぜんわかんないわよ!」
 秋の慌てた声は、ろくに耳に入らなかった。
 そう、『ほんの紛い物に過ぎない』……『現実に存在することはできないし、本当の意味で君たちと触れ合うことはできない』……それが動機だったのだ。
「だから、外の僕にはわからないんだ。消滅の恐怖を知らないから……夢の終わりを恐れていないから!」
 そうだ。
 夢の中に存在している全ては、夢が終われば消えうせる。それは、この場合には夢を見ている主体である奏流も同じこと。――そんなことに、今の今まで気づかなかったとは!
 ……秀一は自分を見ている秋の目つきに気づいた。冷たいというのとは微妙に違うのだが、敬遠したい相手を見るような、そんな眼。
「……悪い、興奮していた。ようやくわかってきたよ」
 機嫌を直してもらおうと謝る。
「……びっくりしたわよ。で、何なの?」
 秋の問いに答える。
「ようやくわかった、夢を見ている者――奏流、の思いがね。僕と同じく夢の終わりを恐れている、ただそれだけだった。夢が終わったら奏流という少年は君たちの中から消えうせてしまうからだ」
「――奏流、が?あの子が、あたしたちの夢を見てるの?」
 秋の、かすかに震えた声。
「そうだ。……心は、意識はそのままにあるのに、何をすることもできなくなってしまう。それが怖いから、君たちを取り込むことで実験を強制的に続けさせ、君たちと離れないで済むようにした――それが動機だった!」
 言い切ると同時、視界が一瞬途切れた。だがすぐに復旧する。
(……迷っているのか)
 恐らく今のが奏流の干渉だ。だが自分は今何を話していたのかも覚えているし、特に変わったことはないような気がする。手を出そうか出すまいか、考えているのだ、奏流は。
「……奏流、が……?」
「ああ。……僕もそうだが、誰もが理由もわからずにこの事態を解決させようとしていた。――それじゃいけなかったんだ。知ってもらわない限り、奏流の望みが叶うことはないからね」
 消滅を恐怖する『心』。
 存続を願う『心』。
 ……実験は完成していた。ただし、研究者が望むこととは少し違っていた――それだけのことだったのだ。
「……間に合わないかもしれない。羽澄氏に連絡を……いや、駄目か。忙しくて聞く耳持たないな。……状況はわかったのに手段がない」
「は?……『羽澄氏』?……藤四郎と、なんか関係あるの?」
 猛スピードで思考する秀一に、秋の間抜けな声が届く。
「あるよ――羽澄藤四郎……本名は『藤沢志津馬』といってね。彼こそが、君たちは知らないだろうが希代の天才、結城コーポレーション電気電子部門の将来を背負って立つとまで言われた研究者だったんだよ」
 額にかすかに汗をかきながら、秀一は頭をフル回転させた。

 特に何の障害もなく、六人は黒い結城本社ビルの前に到着した。
「……人の気配がないな」
 戦闘員を全員叩きのめしてきたのだから人は少なくて当たり前なのだが、さすがにそこに気づいて突っ込むものもいない。
「外見はそっくりだけど、ここは会社と同じと思っちゃいけないということになるだろうね」
「そんなの当たり前だろ。さっき何があったのか考えてもみろよ」
「いや、むしろ思い出したくないんだけどね」
 その気持ちも確かにわかるような気がする。
「……前進あるのみ、やろ?入ろ入ろ」
 またも一粋が号令をかける。しかしどうにも、それだと気合が入らない一行なのだった。秋さえいれば「気合が足りなーい!」と突っ込んでくれそうだが、一粋が言うとなんだかお化け屋敷に入るようなノリになってしまうのである。
 由乃は皆とともに黒いビルに足を踏み入れながら、兄を思う。
(……来兄さま)
 ここに居てくれればいいのに――。
『……呼んだか?』
「――!?」
 脳裏に届いた兄の声に、由乃は思わず飛び上がりそうになった。また何とも気軽に出てきたものである。もっとも姿は見えないが。
『呼んだ……よな?』
 あれが本当に呼んだうちに入るのだろうか。いやしかし、仮にも術者の素養を持つ自分の思いであるだけに、あるいはより強力な力が作用して、いやそんなことは。
 混乱しながらも前方の友典たちに着いていくことは忘れない。
『考えてくれればわかるから、声は出さないでいいぞ。……何かあったのか?少し動揺してるのが伝わってくるぞ?』
 言われて由乃ははたと我に返り、少し気を落ち着けてから答えた。
(……迷って、いるんです)
 この現象の原因として考えられるのは奏流以外にいない。だが、奏流は悪いモノではない、と思う。
 ……何よりあの、見捨てられることを恐れるような瞳……。
『……観念に囚われるのは良くない。良くないが……確かに、由乃の言うとおり悪いモノではなさそうだな。どちらかというと懸命だとか、必死という印象を受けるし』
(……ええ……)
 自分の受けた印象が間違っているとは、彼女は信じたくなかった。
『……他の誰も、このことには気づいていないのか?』
(そのようです。……知らせるべきかと迷ったのですけれど……)
 奏流が自分をどうにかする可能性はあったが、それは脅威ではなかった。奏流が、あるいは自分がおかしな目で見られること、それだけが恐ろしくて。
『……ああ、おまえの思っていることはわかる。言えないのもしかたがないだろうから、気にはしないほうがいい。――まだ知らせないでおこう。おまえ自身がそのことを忘れないように、俺が外界との通路になるから』
(ありがとうございます……)
『大丈夫だ。……必要があればいつでも相談に乗るから、呼ぶんだぞ』
(はい)
 ……何だか、どっちかというと呼ぶ気もないのに呼んでしまいそうで怖い。何しろあれだけ容易く呼べるのだし。
(……考えなければ)
 自分は奏流を消すなどということはしたくない。それをしないで済む方法……そうだ、恐らく藤四郎ももう事態には気づいているに違いない。どうすればうまく収まるのか……。
 考え込んでいると、階段につまづいた。上り口であることに気づかなかったのだ。
「――あっ」
 手をつこうとするが間に合わない。階段の何段目かに顔から突っ込んでしまうかと思われた瞬間、ふわりと何かが彼女を受け止めた。瞳を凝らしても何もないが、確かに何かが支えてくれていた。
「――大丈夫?由乃……」
 奏流が手を差し伸べる。
「ええ。……ありがとう」
 にっこり笑ってその手につかまった由乃は、やはりこの子に悪意はないのだ、と確信する。
 ――そう、誰もがただ、寂しいだけなのだ……。

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