「……うーん、そっくり同じように作られたはずなのに、何で向こうはあんなに善人に育ったんだろうな?」
 思わず独白する『外部』の秀一である。
「真摯だからかな……。それとも非常事態だからなのか、プログラムが不完全だったのか……」
 何に悩んでいるのやら。
 画面の前で考え込んでいると、不意に内線のコール音がした。
「……?」
 何か予定があっただろうか。誰かを呼び出したか?
 心当たりがなく、かすかな戸惑いを感じながら応じる。
「……秀一だが」
『あ、秀一兄さん。入っていいかな』
 聞こえたのは末弟の声だった。そういえば呼び出したような気がする。あまり画面に没頭しすぎて忘れていたが。
「ああ――そうか、おまえか。側に人がいなければ、入ってきてくれ」
『うん。ええと――誰もいないから、入るよ』
 がしょん、と、何だかロボットが変形でもするような音をたててドアが開く。彼ら兄弟の末弟である結城保幸が、限られた一部の人間にだけ与えられている『秀一の部屋のドアを安全に開けるための鍵』を使ったのだ。ちなみに略称は『安全鍵』……なかなか、率直なネーミングである。確か次男の奎司(けいじ)が提案したものだ。服飾のセンスはあっても、ネーミングセンスはなさそうである。
「用って何?またぼくが何かしなきゃいけないんだよね」
「そう、嫌そうに言うなよ」
 苦笑して秀一は椅子を勧めた。座った保幸が見上げてくる。
「……話しぶりからして、相当に厄介な話だよね。たとえばぼくが怒りそうなこととか」
 秀一は聞こえていないように、部屋の奥からティーポットと茶葉を出してくる。
「アップルティー好きだったよな?」
「まあ一応ね……じゃないでしょ!物で釣ってる場合なの!?」
「常に物で釣ってる場合だと思ってる。相手にはよりけりだがな」
 そのアップルティーを入れながら真顔で答えてのける。いろいろと付き合いの長い弟はあっさり彼の行動の真意を見破るが、そんなものはそれさえ巻き込む勢いではぐらかしてやればいいだけのことだ。
 案の定聞こえる呆れ声。
「……あのねえ」
 そういう人だとは――知ってたけどさ、と保幸は頭を掻いた。
「……でも、そうやってはぐらかそうとするとこを見ると、本当に厄介な話なんだね?」
「ああ。――奇跡はその辺に転がってるもんじゃないんだが、ちょっとした悪戯が時にとんでもない奇跡に繋がることがある」
「兄さんのは『ちょっとした悪戯』じゃなくて、完全な確信犯じゃないの?」
 妙に抽象的な話から始めた秀一に保幸が突っ込んだ。
「……まあ、そう言わないで聞いてほしい。……実はある男が死んでいたんだが、ひょんなことから幽霊として出現してしまった」
 ひょんなことでもなんでもない。確かに故意にやったことなのだが、何となく保幸に叱られそうな気がして――こんな理由で彼が行動を曲げるのはこの弟に対してくらいである――、秀一は嘘をついた。
「……そいつはもともと、かなり大それた夢を抱いて生きていたんだ。自ら思考する電子頭脳を創りたい、と。一度は彼の死によってそれは中断されてしまったが、蘇生――というと語弊があるが、とにかく彼が再び実験を始められる状況になり、彼はとうとうそれを完成させてしまった」
 何となく、自分が『内部』の秀一と同じようなこと――部外者への説明をしているのがおかしい。秀一は「ふふふ」と笑った。
「……何?」
「……いや、何でもない……」
 思わずびくっと後じさった保幸に、さすがに申し訳なさそうな声音で言う。そりゃあ、面と向かって話している相手が、難しい話の合間に突然笑ったら驚くものだ。……多分、相手が彼であるだけに尚更だろう。
「……で、どうするの?その人を生き返らせてほしいとか」
「近いが、違う。そのくらいなら死体の冷凍保存でもしておくからな。……で、その電子頭脳を巡ってだな……」
「……うん……?そっちなの?」
 秀一は丁寧に説明した。その電子頭脳が見ている夢の中に、現実の人間たちが取り込まれていること。起こったさまざまな事件。そして時が経つに連れて、彼らが外界のことを忘れ始めているように見えること――。
「――しかも、実験やってる当人は今や瀕死だ。まあもう死んでるんだが……そいつ次第では参加者たちが全滅しかねない」
 しかも実は友典が巻き込まれてるんだよなあ。
 秀一の言い方が悪かったのか何なのか、その声に含まれた笑いの気配に保幸は気づいてしまったようだ。
「……深刻そうに言ってるけど、思いっきり楽しんでるよね。兄さん」
 苦笑を抑えられないらしく、保幸も笑った。家族――と、一部の例外的な他人――の前でしか見せることのない、素の表情である。
「……その幽霊さんを、助けてほしいって訳だよね?」
「ああ。……とにかくこの実験が終わるまで、付き合わせなきゃならないからな」
「そうだね。……いいけど、それでぼくに何か得があるかなあ」
「……珍しいな、おまえがそんなことを言い出すのは」
 物欲に乏しい――あるいは、『乏しかった』?――弟なのだが。
「……何がほしいんだ?」
「最近梓さんが一生懸命料理覚えようとしてくれてるんだけど、なにぶん買い物が下手でね、冷蔵庫の中で賞味期限が大変なことになってるんだよね」
 何を求めているやらさっぱりだ。
「当面彼女に料理を教えてくれる人……かな?ああ、でもぼくはあまり大勢と暮らせない身なんだよね。どうしようか」
「……もう一部屋、と、料理人だな?」
「うん」
「……おまえもちゃっかりした奴になったもんだなあ」
 女ができると変わるな、などと冷やかしてみたりする。
「……ああ、請けるのやめようかなあ」
 そうは言っても、結局仕事は請ける羽目になるのが保幸の常だった。
「――じゃ、梓さんにちょっと断りに」
「ん?……電話じゃ済まないのか?」
「ま、いろいろと……ほら、買い出しに出てたりするとまずいし」
 じゃあちょっと行ってくるね、と保幸が出て行く。
「保幸……ほんとに変わったね、おまえは」
 こんなに変わるもんだとは思わなかった。
 珍しく呆気にとられ、秀一はその背中を見送った。

      *      *      *

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