十、覚悟かくごほどためされるとき
 
 しばしの思考の後、秀一は再び口を開いた。
「そうだな――僕の話より先に、まずは君に聞いておいたほうがいいかもしれない。こういう言い方をするとまた追い出されそうだが、なぜあれだけ警戒していたのに、僕とこの部屋で話をしようという気になってくれたのかな?」
 いつのまにか敬語を止めている。とりあえずこの面では、「仕切り直し」という彼の目的は達せられた。……無論そんなことに満足はしないが。
「……いや、そう言われればそうなんだけど……なんか、すごく気になって」
 秋の返答はどうにも歯切れの悪いものだった。
 警戒していなかったわけではない。何しろ友典や英晴があれほど恐れていた相手だ――まあ、ある種の諦めも伴いつつ、だが――。一筋縄では行かないことも、いかに厄介な人物かも、彼ら二人を見ていれば容易に想像がついた。その想像が果たして実物のレベルに及んでいるかどうかは、また別問題になってしまうが。
 それだけに――自分の考えたことなのに、わからない。
 なぜやすやすと、部屋に入れたのか?
「んー……何ていうか、知らないままでいる訳にはいかない、って思って……。あれ?だけど、話って何だっけ?」
「……!?」
 秀一は一瞬、自分の耳を疑った。
「……君たちがたった今――そう、まさにたった今直面している脅威について、だよ」
 静かに言い直して、しかしその冷静そうな表情の下で戦慄する。
 よもや。
 たった今話したことさえ、記憶していないとは。
(……本当に……冗談にならない相手だ……)
 自分が何でもできると知っている者を相手にするのが、こんなにも困難だとは。
 表情に深刻さがにじみ出そうになるのを抑えていると、
『――落ち着くことだね。焦るのは僕らしくないよ』
 かすかな苦笑を含んだ声が脳裏に響いた。
「……それもそうだね」
 こちらも苦笑で返す。『外部そと』の秀一が、自分に重なって存在する桜都を通じて話し掛けてきたのだ。
「……ちょっと、何言ってんの?」
「ああ、こっちの話だ。申し訳ない」
 ふっと気分が楽になった。さすがに『外部』の秀一はこういう局面には慣れているようだ。何となく、思考を読まれて気にくわない気もするが。
 会話を再開するべく口を開く。
「……さっきも言ったことなんだが、君たちはこの世界にとっては『来訪者』であり『異邦人』なんだよ。もともとはこの世界の人間ではない。しかも、やってきたのはほんの数日前だ……と言ったら、信じてくれるかな」
「――なに、それ」
 秋は突き放すような言い方をしたが、その表情には微妙な困惑が含まれている。何かが引っかかっているようだ。
「あたし……さっきも、その話、聞いた?」
「ああ、少し話したよ。と言っても、詳しい話はこれからだけどね」
「そう……」
 小さな声で言って、秋は俯いて黙り込んでしまった。
「……大丈夫かい?」
 戸惑いをこめて問い掛ける。実際のところ、今はこの状況を自分自身がどう切り抜けるかを考えているばかりだ。人の心配をする余裕はあまりない。だが放っておくのは紳士のマナーに反するような気もするし、ここで機嫌を損ねられてはどうしようもない。
 しかし秋はその声を聞くなり、勢いあまって頭が落っこちるのではないかと思うような速度で顔を上げた。
「……せっかく言ってくれてるのにこういうのも悪いけど、心配しないで。ちょっと自分がボケちゃったような気がしただけだからねっ」
 何とも……不機嫌そうである。
「いいから話続けてよ。また忘れたら何回も話してもらわなきゃいけなくなるわ」
 忘れるとしたら早く話したところで同じことのような気はかなりするな――とは思いながら、秀一はまた話し始めた。
「……この世界は、『ある者』の夢の世界なんだ。君たちは、君たちの本当の世界からここに呼び込まれた。――そいつはこの夢の中でしか、自由に、生きているように行動することができないからだ。そいつにはまだ頭――『脳』しかないためにね」
 先入観を与えないため故意に固有名詞を使わず話していると、ふと視線を感じた。桜都のものでも『外部』の秀一のものでもない、どこかよそよそしいような感情を含んだ視線。
(――見てる……聞いてるな)
 自分が直接見ることのできないはずの場所のことにも、自由に干渉できるらしい――不敵に口元を歪めながら、ほんの少し、冷や汗の予感のようなものをおぼえる。
「そいつはある研究者が、文字通り命を懸けて作り出した機械なんだよ。その研究者はそれ以上ないほど頭が良くて器用な、優秀を絵に描いたような人物だった――だが、それ故に変わり者な部分が多々あったし、何より学校に行きたがらなかったから、彼には『友達』がいなかった」
 その頃のことは、どちらの秀一も詳しくは知らない。志津馬の才を見出して拾い上げたのは、確か志津馬が十五か六のときだった。
「……彼は幼いころに飛行機事故で両親を亡くし、両親の知人だった、スーパーコンピュータの世界的権威に引き取られた」
 物心すらつくかつかないかのうちに、二人の親を亡くしてしまった――その出来事は少年のこころに、ある種の観念を植え付けた。
 すなわち――『人間は脆い。すぐに死んでしまう。ぼくを置いて、行ってしまう』――と。
 実はそれは、そのときにこそ分からなかったものの、彼自身の将来の運命を考えればかなり皮肉な考えだったのだが。
「――しかしその人も人づき合いが下手でね。ただでも人間の脆さに失望し、さらに世渡り下手な学者に育てられたせいで、彼は小さいころからほとんど機械としか接しないで生きてしまった。だから、彼が思いついた『仲間』は――」
 秋が息を呑んで、そして応える。
「機械だった……のね」
 絶対に。絶対にぼくを置いていかない友達。
 完全な死がない、友達。
 ……心を持った機械。
「そういうことになるね。だがやはり、そこには環境要因もあった。彼は学校教育ってものをほとんど受けていないが、その代わりに勉強を教えていたのが脳神経の研究者だったらしい。さっきの親代わりの学者と、その先生と――彼らが思い描いていた夢を継いだ、と言う側面もあるようだ」
 先刻感じた視線は消えることはないものの、まだ明白な動きを見せてはいない。だがひとたび何かをする気になったならば、秋の記憶を操作することも容易だし、それに――
(僕そのものをきれいさっぱり無に還すことも、今の『奏流かれ』にはできるんだろうな――)
 上等だ。崖っぷちで、かろうじて存在を許されているなら、できる限り状況を引っ掻き回して消えてやる。
 半ば自虐的にすら見える、かすかに引きつった不敵な笑い。
「――まあそんないきさつがあって彼は研究を始め、結局はただ一人でそのシステムのほとんどを作り出し、悲しいことに完成寸前に亡くなってしまった」
 だが――設計図に焼き付けられた、目には見えない情熱。それが彼を、彼の精神を再び現世へと呼び返したのだ。
 秋がお手上げのポーズをとって言った。
「……恐ろしく非現実的な話ね」
 ――そうだろう、現実世界の住人にとっては……。
「少なくともここは、非現実だよ――君にとってはね。僕にとっては……紛れもない現実だが」
 そう、これこそが彼にとっては現実なのだ。もしも『外部』の秀一と接触することがなかったら――ただ、志津馬に作られた存在として生きていたら、決して違和感を抱くことのなかったであろう、世界。
「信じられないだろうが、僕はこちら側の人間だ。ここにこうして確固としてここにいるように見えても、僕は紛い物に過ぎない……現実に存在することはできないし、本当の意味で君たちと触れ合うことはできないんだよ……」
 ――そのとき、秀一の脳裏にひとつの思考が閃いた。
「……!」
 声にならない声を上げて、彼は思わず立ち上がった。

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