しばらくばたばたしていたが、ようやく料理が運ばれてきた。『みずな亭』の中が一挙に歓声で満ちる。無論その声の主は英晴と奏流だ。由乃は「凄いんですね……」と目をぱちくりさせているし、一粋は生きててよかったとばかりに涙ぐんでいる。こんなものを常食としている人種がいるとは、と秋も呆れ返っている感じだった。
「……ちょっとは行儀を考えてくれよ」
 友典が憮然として呟くと、店主が近寄ってきた。
「構いませんよ。今日は貸し切りみたいなものですし、賑やかな方がようございます」
 あたたかな眼差し。
「……そう……ですか?すみません」
 むしろそう言ってもらうほうが申し訳なくなってしまいそうだ。
「それに、楽しそうに食べていただく方が嬉しいものです」
「……恐縮です」
 友典もたまには思う。どうして自分の周りには、状況に適当な人間がいないのだろうか、とか。
 だがまあ、そんなことを考えていても仕方がないので、運ばれてきたものを口に運ぶことに専念した。本気で言ってくれているのかどうかは知らないが、店主が気にしないのであればこの喧しさを気にかけてしまうのは自分だけである。
「何や友典、何を暗い顔しとるんや?」
「何でもないよ……」
 とりあえず務めて喧しさを無視する。
 ……そんなこんなで食卓上の皿がほぼ全て空になったころに、不意に「ひゅっ」と何かが風を切るような音が聞こえた。
「ん?なん……」
 何だ、と言いかけて、英晴は最後まで言い終わることができなかった。音に応えたのか一斉に、窓の外に黒い人影が大量に出現する。そいつら・・・・は窓を割って、『みずな亭』の中に雪崩れ込んできた。
「……ちょっと待てなんだそれは!?」
 そりゃあ悲鳴をあげたくもなるだろう。
 黒い人影たちは意味もなく縦横無尽に『みずな亭』の中を駆け回り、そしてその中から飛び出してきた、他とは少し違った人影が、
「……っきゃあぁっ」
 呆然としていた秋を椅子ごと掻っ攫った。
「あっ、秋っ!?」
「何これ!英晴ーっ、みんなぁっ!」
 その人影――周囲が黒の全身タイツらしき姿であるのに対し、唯一黒マント姿でおまけに『オペラ座の怪人』みたいに顔の上半分を覆う仮面をつけている――は、太ってはいないが決して痩せすぎてもいないはずの秋の身体を抱えたまま高々と飛び上がった。天井の高い『みずな亭』の壁の半ばほどにある、狭い通路キャットウォークに着地する。
「……まさかピアノ線で吊ってる……!?」
 驚いた。
 だがその動きの鮮やかさ以上に、むしろそこまでする根性というか、凝り性というか、そういうものに驚いてしまった。友典たちの注目の前で、怪人は仮面を少し上げてその顔を示した。
「……やっぱりか!」
 その下から出てきたのは、友典にとっては見慣れた――個人的には見慣れたくもないのだが仕方がない――長兄の顔だ。
「ふざけるんじゃないぞ!一体何のつもりなんだ!」
 状況が状況なだけに言葉が自然荒くなる。
「いやぁ――そうだね、実は僕もそれが知りたい。……まあ、もうすぐわかることだけどね」
 秀一は苦笑して不思議な台詞を吐き、仮面を元に戻した。
「さて、引き上げる。足止めは任せた」
 暴れる秋を器用に抱えたまま、秀一は窓を割って外へ飛び出した。
「あっ……!?」
 ここは二階の高さである――数人の悲鳴じみた声が重なった。だが秀一は何か・・を掴んで身体を支えているようだ――
 上空に機影。ほぼ無音で飛行を続けるそれは、
「……せ、静音ヘリコプター!?」
 やりすぎにもほどがある。この間のビル消しに次いで大掛かりな『悪ふざけ』である。
「ちょっとー、見てないで助けてよぉっ!?」
「あっ、状況に流されて忘れてた……今行くから待ってろよ、っ!?」
 叫んだ英晴の後ろから人影――一昔か二昔前の特撮物の『戦闘員』とでも例えるのが適当だろうか――が殴りかかってきた。
「邪魔すんなよ!」
 振り向きざまの蹴りで相手が手にしていた椅子を叩き落とし、後に続く一撃で動きを止める。どうやら相手の運動能力も戦闘関係の技能も、普通人に毛が生えた程度だ。無論英晴の敵ではない。
「数が多すぎる!逃げられるぞ!?」
 由乃と奏流を背後に庇って戦っている友典がそう言ってきた。
「……しょうがないだろ!いくら何でも追いかけようがないよ!」
 確かに、いくら運動能力に秀でていても所詮は生身の人間。空中に逃れられれば追いかけようはない。だが上空の秋はそうは思わなかったようだ。
「薄情ものぉぉぉー!」
「だああ!後で迎えに行ってやるから待ってろよ!」
 言いながら、一粋の前にいた戦闘員を蹴倒す。無論手加減はかなりしているから、せいぜい蹴られた部位が打ち身になるくらいで済むだろう。中途半端に相手の回避が上手いだけにひょっとするとまずいところに当たっているかもしれないが、そこまで責任は取れない。
「済まんなあ、世話になって」
 苦笑しながら言う一粋。
「ま、普通こういう状況に備えはないもんだろ」
 そんなことよりとっとと片付けて秋を助けに行かないと。
 事務的に相手を片付けていく英晴とは対照的に、憤りを込めて暴れまわっている――要は八つ当たりだ――のが友典である。
「全く……!しばらく前までは・・・・・・・・平穏だったのに、どうして最近・・こんなに無茶苦茶なことばっかり起こるんだ!」
「!」
 由乃はようやく違和感の正体に気づいた。
(――忘れてしまわれた……?)
 ここが、現実そっくりの異世界だということを?
 ……もともとここの住人だったと、そう思っているのか?
(どういうことでしょうか……)
 考え始めて。
 ふと、自分と奏流の身の回りが妙に静かだということに気づいた。
 誰も近づいてこないのだ。確かに目の前で、友典が暴れてくれているせいもあるのだろう。だがそれだけでは説明のしようがないような、世界から隔絶されたような奇妙な違和感を感じる。
「……」
「……」
 無言のまま、しばし奏流と目を見交わす。
 どこか悲しげで寂しげで、そして必死な眼差しからは、やはり悪いものらしい気配は感じ取れなかった。

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