「ひよあああああ」
 意味不明な奇声をあげ、秋は手近なテーブルの下に潜り込んだ。
 また『地震』が起こったのだ。
「……最近地震が多いね……」
 友典はそのまま立っている。足元に奏流がしがみついているから、実はそれ以上の身動きもできないのだが。
「うーん。何か大地震の予兆やろか」
「そんなことはないと思いますけど……」
 予兆と言うより既にしてこれ自体がかなりの大地震でもある。
「あっ……」
 奏流の分の水をもう一度運んでこようとしたウエイトレスが、右足を左足に引っ掛けて転んだ。あくまでも揺れの影響は受けていないらしいが、結局またしても水は床にこぼれてしまう。
「……にしても、長い地震だな」
「そうだね。不思議だな……そんなに長い地震ってのもありえないと思うんだけど」
 言ったとたんにぴたっと揺れがおさまった。
「――っとぉ」
「まるで話してることが分かってるみたいだわ」
 秋がテーブルの下から這い出してきた。潜り込んでいたのが自分一人であることに気づき、顔を赤らめる。
「ちょっとみんな、何で平気で立ってるのよ」
「え?だって、気をつけてれば転ばないし」
 なんだか自分ひとりが臆病に思えて、むー、と呻く秋である。
 由乃はそんな秋を見ながら、何だかおかしい、と考えていた。
 別に何がおかしいわけでもない。そのはずだ。別にみんなが逆立ちをして歩いているわけでもなければ、友典が真っ赤に髪を染めておかしな形に纏めているわけでもない。そういう大きなことではない。
 じゃあ何がおかしい?
 確かに何かが……おかしいはず。それは一体、何だろう?
 ふと奏流の方を見やると、彼も由乃を見ているところだった。
 笑いかけてその笑顔がかすかに強張る。
 奏流の表情に、何か不穏なものが含まれているような気がして。
「……由乃、大丈夫?何も落っこちてこなかったよね?」
「ええ、大丈夫ですよ」
 にこやかに応えながら、心はしかし、あらぬ方を向いていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 何かおかしい。何かが。
 それは例の――普段は出入り口を持たない奇妙な部屋からその様子を見ている志津馬も感じていることだった。
 何だかよくわからない。だが何か、何かが。
「……何だろう?」
 遊帆を帰すんじゃなかったですねー。
 相談相手は残しておけばよかった、と一人呟きながら、志津馬は思考をめぐらせる。
 ……。
 …………。
 彼が黙り込んでいる限り、この部屋では機械の立てる無機質な音しかしない。
 なおもしばらく考え込んで、
「――あ……!」
 ようやく彼は違和感の正体に思い当たった。
 友典が言ったのだ。「最近地震が多いね」と。
 彼らがこの世界で過ごし始めたのはほんの数日前で、最近も何もあったものではないはずなのだ。
 最近、と言ったということは……。
「……まさか、現実との区別がつかなくなっている――のか……?」
 背筋が冷える感覚を覚えた。
「何が……何が原因なんだ……?」
 切実に。
 機械ではない相談相手が欲しかった。
 結城の回線をもう一度乗っ取って、遊帆と話をしなければ。
 どうにか――対策を講じなければ。
 ……自分がかけた罠に自分がはまったような、ひどく居心地の悪い気分がした。

―――――――――――――――――――――――――――――――

      *      *      *

 その少し後の十七時半ごろ。
 結城秀一は起動中の[STEB]への対策用に用意した諸々のものを片付け終えて、夕食を摂りに自室に帰っていた。普段ならばどこかレストランにでも出かけるところなのだが、今はそれよりもよほど興味のある事柄があるのだからそうもしていられない。結城本社の社員食堂だってそう捨てたものじゃない――いや、むしろ大概の企業のそれよりもずっといい――のだし。
 社員食堂のテイクアウトを手にして廊下を歩く。滅多に見られない光景に一部の社員が目を剥いていたような気もするが、わが道を行く秀一に今更そんなことは関係なかった。
「さて、どうなったのかな?」
 彼は知る由もないが、志津馬と同じような言葉を呟いて、隠し部屋のドアを開ける。
「桜都」
「はい」
 返事はすぐに返ってきた。
「ご覧になりますか?」
「ああ。……いろいろ……大変なことになっていそうだしね」
 全く目が離せない――なんだかやんちゃな子供を心配する親のような気分で思い、しかしこの遊び(ゲーム)にかなりはまりこんでいる自分を自覚しもして、思わず苦笑する。悪い癖だ。治す気など毛頭ないが。
「いつまで保つかは知らないが――もうしばらくの間、楽しませてもらうよ」
 不穏な言葉を吐きながら、秀一は桜都に手を差し伸べた。

      *      *      *

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