「えーと、居間……。って、そうだ、居間のドア開けた先に居間があるなんて保証ないわよ」
 秋はようやく気づいた。
 普通の状況下ならば実に変な台詞だが、確かにそうである。
「え、だってもうすぐそこってとこまで来てからそんなこといわれたって困るだろ」
 それも確かに納得できる。
 後ろを歩いている奏流と英晴が担いでいる友典は何ら疑問を抱いている様子はない。無論友典は気絶しているのだから、そんなもの抱いている方がおかしいのだが。
「……えーい、行ってみよぉっ」
 そんなやりとりをしている間に居間の前に着いてしまった。秋はやけになったか吹っ切れたか、勢いよくドアを開ける。
「……あ、やっぱり駄目?」
 室内に広がっていたのは、機械だらけの部屋だった。
 細かい無数の部品。工具。奥には市販品と思しき古い型のコンピュータと、それよりは幾分か新しい組み立てかけのものがある。
 全体に色調が明るいとはいえない室内。光が入るべき窓は、どうしたわけか薄汚れたカーテンに閉ざされたままだ。
 そのとき、がしゃんと音がした。
「……あっ」
 室内右手にあるドアから少年が入ってきたのだ。しかしそのドアはその側に置きっぱなしだったいくつかの工具箱の一つに見事ヒットし、その中身を床にぶちまけた。
「……あーあー」
 溜め息をつきながら、それでもあまり困った様子も見せずに少年は片付けを始めた。どうやら日常茶飯事らしい。いちいち困っていられないといった風だ。
 少年は黒髪黒目、年齢は――身長からして小学校の低学年程度。背に対して身体はかなり華奢である。その上表情が変に大人びているものだから、全体としてはひどくアンバランスに見えた。
「ちょっと、これも誰かの……誰かの過去だとしたら……」
 間違いない、藤四郎だ。
 少年は適当に片付けを終えると、奥の市販品らしい方のコンピュータに向かった。
 まだインターネットなどという呼称が登場する前――かなり初期のネットワークに参加しているらしい。時折肩を揺らして笑ったり、目にも止まらぬスピードでメッセージを打ち込んだりしている。
 やがてその作業を終え、少年は椅子から立ち上がった。
「――あーあ、『おまえ』が本当に生きてたらなあ。本当に生きてて、話ができたり、一緒に遊んだりできればいいのに――」
 と、突然。
 ぶつっ、と音がして、一瞬で少年は部屋ごと消えた。
「……あ、あれ?」
 困惑して秋は目をこする。
「……いまので終わり?何か変だったような……」
 なんだか――唐突過ぎた。今ので一つの場面が終わりとはどうしても思えない。
「何か……。早かったよな?」
 英晴も首を傾げる。
 しかし二人がその原因を思いつかないまま、
「何やってるの?早く中入ろうよ」
 奏流の声に押されて、四人はいつも通りになった居間に踏み込んだ。
 友典をソファに寝かせて、ようやく自由になったとばかりに英晴がぐるぐると腕を回す。そのままラジオ体操でも始めてしまいそうな勢いの彼を見ながら、奏流が一生懸命真似をしている。
「……けどさ、そういえば結局見つかってないんじゃないの。由乃ちゃんと一粋くん」
「……あ、そうか、最初はそういう目的で出てったんだっけな」
 忘れているとは薄情なものだ。
「最初は奏流が言ったんじゃないか?由乃に会いに行こう、って」
「……そうだった?」
 奏流はきょとん、と首を傾げる。
でももう・・・・きっとみんな降りてくるよ・・・・・・・・・・・・
 妙に確信的なその口調の奇妙さに、しかし英晴も秋も気づかない。
「あんた何子供に責任押し付けてんのよ」
「押し付けてないよ。思い出したらそうだったような気が……」
 微妙に夫婦喧嘩めいた口論を始めたそのとき、廊下側のドアが開いて由乃が顔を出した。
「あ、皆さん、おはようございます」
 ……。
 そういえば今朝起きてから、出会うのはこれが初めてかもしれない。
「おはようさん……って、起きてからもう相当経っとるけどな」
 一粋は苦笑した。
「あー、ようやく全員集合だよぉ」
 秋が安堵したように呟く。こっそり後ろで一粋が「八時だよ」とか囁いていたが、一部のものは故意に、また一部のものは無意識にそれを黙殺した。無論そうして無視された一粋の「無視するやなんて、そんな殺生なぁー」という愚痴もまた無視する。
「……これで全部、元に戻った、のか?」
 恐る恐る英晴がキッチンの側のドアを開けると、そこにはちゃんとキッチンが広がっていた。どこにいたのやら、川本さんが出てきたりする。
「まあぼっちゃま、まだお休みなのですか?」
 お寝坊な方ですことねぇ。
 けらけらと屈託なく笑いながら友典を揺すり起こす川本さんを止めることは、結局誰にもできなかった。
「ん……う……」
 かすかに覚醒の気配は見せるが、起きない。
「ほら、起きないといけませんよ。ご友人方をお待たせしてるんですから」
「……あと……三時間……」
 呻くように、寝ぼけ声で友典は言う。
「……さ、三時間……」
 普通、五分とかその辺りではないのか?
 さすがに一同が絶句している間も、川本さんは辛抱強く友典を揺すり、呼びかけつづけた。
「お起きなさいませ」
 だんだんにこにこ笑いが深まっているように見えるのは気のせいだろうか――いや、気のせいではない。
「お・お・き・な・さ・い・ま・せ」
 もはや揺する手のほうはジェットコースターばりの揺れになっている。声のほうも言葉こそ丁寧で、感情がそれほど出てはいないものの、これはもう呼びかけるでも囁くでも言うでもなく、叫ぶとか怒鳴るとか表現されるレベルである。
 その甲斐あってか、友典はようやく目を覚まし、ソファの上に身体を起こして目を擦った。
「――何だ……もう朝か?」
 だいぶ前に朝は終わっている。
「何寝ぼけていらっしゃるんです?もう昼過ぎですよ。何も仰せになられなかったものですから、昼ご飯をご用意していいのかいけないのかわかりませんでしたのに」
「……何でそんな時間なんだ……あ」
 思い出したらしい。友典はまじまじと手を見下ろした。
「……ね、猫……」
 またふらりと気絶しそうになる、繊細なんだか頑丈なんだかわからない友人を支えに英晴は慌てて走った。
 結局その日の昼ご飯は、友典がよく利用するらしいレストランに連れて行かれることになった。

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