*      *      *

 砂漠の中を少し歩いて、二人は温室に到達した。
 不思議とここまで歩いてくる間、別に砂漠用の装備をしているわけでもないのに命に関わるほど辛い思いはしなかった。やはり自分たちを害する意図はないのだろう、と一粋は解釈する。
 ガラスのドアに手をかける……。
「……んぎっ」
 ……予想もしないほど重い。一粋は思わず自分の両手を見た。日々の力仕事でかなりの筋力がついているはずのその両手は、力を込めすぎたせいか少し赤くなっている。
「あの人……こないに重いドア開けて入ったんか?」
 中にいる栗色の髪の女性は、まだ二人に気づく様子がない。
「開けたいの」
 隣から――身長に差があるので、正確には腰のあたりからというのが適当かもしれない――火奈が問いかける。
「わたしがやる」
 無論、体格もそう悪くはない大学生の一粋に開けられないものが、こんな小さな子供にどうにかできるわけがないのである。
 普通ならば。
 ――そう、普通ならば……。
「……ちょっと、どいて」
 火奈は一粋を脇に除けると――不思議と抗いにくかったので、一粋はそのままどいてしまった――、火奈はドアの取っ手に手を添える。  それほど力を込める様子もなく、すっと引いた。すると、
「……開いたよ」
 ドアもまたほとんど無抵抗に、あっさりと開いてしまったのである。
「……うっそぉ」
 さすがに言葉が出てこない一粋に、火奈は肩をすくめる。
「ねえさまを守れる力くらいは、持ってるもの」
 その言葉に一粋は、目の前の少女が自分の思っているほど力ない存在でもなく、また見た目どおりの子供でもないということを身にしみて理解した、が。
「あー……せやけど、何かへこむわ……」
 やっぱり、微妙に自信を失ってしまったりもするのであった。

―――――――――――――――――――――――――――――――

「んー……」
 悠長なことにまだ考え込んでいた藤四郎は、顔の近くで点滅する画面にようやく気づき振り返った。
「んー……やる気まんまんって感じですね……」
 こっちは手加減も考えねばならないと言うのに、気軽に挑戦してきて欲しくないものだ。
「……全く」
 アクセス状況を調べる。すると、てっきり再び総攻撃をかけてきたものかと思っていたが、実は今度アクセスしてきているのが一人だけであることがわかった。
 外部にこっそり設置してあるマイクをオンにする。
 ――見てろよ!
 怒鳴るような声が聞こえてきた。
「……あれ?」
 後輩くんじゃないですか。
 まさか、嘉村が暴走しているだけとは思ってもみなかった彼である。
「うーん……仕方ないなあ、気の毒ですけど……」
 自分を納得させるかのように呟いて、藤四郎もまたインターフェイスを装着した。
「あなたが悪いんですよ、全く……警告はしましたからね」
 呟きは電子の海に散った。

―――――――――――――――――――――――――――――――

      *      *      *

 手元のノートパソコンが突然フリーズした。
「……またか!」
 そう思うなら、先に何か対策でも取るべきだったような気もする。もっとも何ができるかと言われれば、何もできないとしか答えられないのだが。
 即座に電源を切って再起動――したところ、Windowsが組み込まれているはずのPCで突然マッキントッシュのロゴが出現した。
「――!?」
 意表を突いた攻撃――なのだろう、多分。これだけの事をするのだから中のデータだって無事とは限らない――に目を白黒させる嘉村青年の手元で、パソコンが笑い声のような珍妙な起動音を立て、画面が通常のデスクトップに切り替わる。
「……ふざけてんのか、おまえはぁっ!」
 いっそう激昂の度合いを強めて嘉村は怒鳴る。そして画面上のアイコンをクリックした途端、
『いえ、別にふざけてはいませんよ』
 と言う、どうやら若い男と思しき声が聞こえた。続けてまた、
『あなたが邪魔するからじゃないですか』
 同時に、画面上に扉が現れた。何が起こるのかと見ていると、扉は開いて中から秀一が歩いてきた。
『もう少し冷静になれるようじゃないと、僕の立場は譲れないね』
 その声も、眼鏡を上げる仕草も、本物そっくりである。
 なかなか……知り尽くしているというか、なんとも陰険な攻撃ではある。
「だから……ふざけるな!」
 他の言葉が出てこない。
『あなたが余計な横槍を止めてくれるなら、今すぐにでも戻して差し上げます。こちらに害意がないことは理解していただけたと思いますけど』
「……」
内心ではわかっている。これが相手の限りない譲歩である、と。だがしかし、それでもなお嘉村はやはり諦めきることができない。
「止めさせたければ、止めてみればいいだろう!」
『……わかりました、そうしましょう』
 静かな答え。
 同時に、[STEB‐SOUL]の画面が理解しにくい英数字の羅列を停め、日本語を打ち出し始めた。

――これでもまだ邪魔をするなら、これ以上の容赦はできません。
 決して脅迫は目的ではありませんが、ひとつお知らせしておきます。
 不用意に手出しをすると、結城友典氏とそのご友人がたの身の安全は保障できません。これはぼくが手を下すか否かということに関わらずありうる可能性です。
 そのことを考慮の上でご決断くださるよう、電気電子部門主任結城秀一殿に依頼申し上げます。
                                Siduma.F――

 しかも――今度は外部入力装置キーボードのキーが、たった今その場で誰かが打ち込んでいるかのように動いている。でたらめな動きではない。かなりの速度なので認識しにくいが、極めて正確な動きであることが見て取れた。
 周囲に動揺の声が起こる。
「Siduma.F――まさか、『藤沢志津馬』か!?」
 その名はこの電気電子部門の人間ならば知らぬ者のないほど有名な名前だった。かつてこの部門に所属し、若くして非業の死を遂げた天才、――よもや、その男の名をこのようなところで見ようとは。
「そんな馬鹿な……今のが……?」
 嘉村青年は呆然と呟く。
 ずっと憧れつづけてきた天才――そして、その才能に憧れた嘉村がようやくこの会社に入社した頃には、もはやこの世を去ってしまっていた偶像。今しがたの対峙で幾分かイメージは狂ったが、しかし決してまみえることのなかったはずのその相手とこんな形で邂逅できたということに、思わず何かの神に感謝したい気分にもなった。
「だけど、何で志津馬くんがこんなことをしなきゃならないの!?」
 藤沢志津馬を直接知るらしい女性研究員が、叫ぶように問う。
 
 ――ぼくの唯一の夢を叶えるために必要な

 再び動き出したキーボードは、しかしそこまで打ち出されたところで突如勢いを失った。
 全員がその後しばらく、動くことも忘れてその装置を見守っていた。
 やがて[STEB‐SOUL]の画面は元通り、理解に苦しむ莫大な数の数式を表示し始める。
 ――キーボードが勝手に動き始めることは、もうなかった。

      *      *      *

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