七、ろくなことなどこらないはず


「なんや?お嬢ちゃん。迷子か?」
 迷子と言えば迷子に決まっている。砂漠にオアシスと言うこの環境下に日本人らしき赤い和装の少女がいることを多少強引にでも説明できる事情は、一粋にはそれ以外思いつかなかった。いや、迷子であるにしても相当不思議だが。
「……ここ、何?」
 警戒心を多分に含んだ眼差しで彼をめつけながら――もしも相手がいたいけな子供でなかったら、喧嘩を売られているのかと思うところだ――少女は問う。
「いや、それがわかったら苦労してへんのやけど」
 実際に苦労しているかどうかはとりあえず置いておくことにした。
「お嬢ちゃんも、いきなりここに出てきてしもたんか?」
「……由乃ねえさまのそばから離れたら、戻れなくなったの」
 そう言って少女は親指を口元に当てた。その爪はまるで鳥か獣の類のもののように奇妙に鋭い円筒形の爪なのだが、一粋は気づかない。 「『由乃ねえさま』?……お嬢ちゃん、由乃さんの妹なんか?」
「違う」
 本当に聞かれた事しか答えない子供である。
「……そうか、違うんか。せやったら何で、由乃さんのことねえさまって呼ぶんや?」
「……ねえさまが、ねえさまって呼んでいいって言ったから」
 一粋ももう少し、効率的に質問すると言うことを覚えるべきだが。
「さよか……で、お嬢ちゃんの名前は?」
「火奈」
 ひな――と言われても咄嗟に文字が思いつかなかったが、とりあえずそれもあっちに置いておこうと決める。
「ふうん、ひな、か。いい名前やな」
「そう?……あの頃のねえさまには、命名の才能ネーミング・センスはなかったと思う」
 これほど率直な名前もないもの、と火奈は呟いて、足元の砂に指で漢字を書いた。
「『火』と、『ひな』って音が、由来」
 説明が簡潔すぎてわかりにくい。
「まあ、ええやないか。由乃さんにだって苦手なものもあるっちゅうことで」
「そんなの別に気にしてない。ねえさまがつけてくれた名前だもの。それまでは、ちがう名前だった」
 ……。
 小さな少女の割に無感情な声からは、結局その名前を彼女がどう思っているのかが読み取れなかった。
「で――その、火奈ちゃんは、由乃さんのところに帰りたいんやな?」
「そう。……帰り道、わかるの」
「いーや?全っ然」
 そんなことを自信たっぷりに言って欲しくはないものである。
「せやけどな。この世界の中やったら、何が起こってもおかしゅうないねん。『現実』とは違うそうや。由乃さんの受け売りやけど……誰かの『夢』みたいなもんや、てゆうとったな」
 一粋はぽん、と火奈の頭の上に手を置く。
「ほんでもって、今までいろいろ起こっとるけど、結局俺らの誰も取り返しのつかんことにはなってない。要は――ある意味、俺らの安全はかなりのとこまで保障されてるっちゅうことや。せやから帰れる」
「……」
 頭の上の手を気にかけず、火奈は一粋を見上げた。幾分か呆れてもいるようだ。
「……楽観的」
 ぼそっと呟いた。
「まあそう言うなって……火奈ちゃんも由乃さんの知り合いなんやったら、きっと同じ法則の中にいるんやと思う。放っとかれても帰れるちゅうこっちゃ。けど、俺はちっちゃな女の子一人っきりで砂漠の中に放り出していくほど薄情やないで」
 まあ、俺と来たからって安全やって保証もできんけど。
 一粋は苦笑して――この表情が実によく似合う――、火奈の頭から手を放した。
「さて……どないしよ?」
 すっと笑みを消して一粋は砂漠を見渡す。温室の中ではまだ栗色の髪の女性が木々に水をやっていた。
「あそこ、行ってみよか」
 にや、と笑って一粋はそちらに歩き出す。火奈が、体が全く揺れない不思議な歩き方で後に従った。

 NEXT
 STEB ROOM
 NOVEL ROOM



[PR]動画