*      *      *
 
「……苦戦してるな」
 一人だけ、指揮官ということで技術者集団から離れて様子を見ている秀一はそう呟いた。彼の視界の中で、いくつかのパソコンの画面が暗くなっていく。逆に向こうから攻撃されて強制的に電源を落とされているようだ。
「……さすが、物心つく前からずっとコンピュータばかり扱って来た人間――それもそもそもが天才肌の奴が相手だと、ここの人間でもちょっと辛いか」
 もうちょっとやるかと思ってたんだけどね。
 口には出さないでそう囁き、今度は聞こえてくる音に注意を集中する。今は桜都のほうが気になった。どうせこっちは陽動作戦であるから、最初のカムフラージュさえうまくいってくれれば後はどうでもいいようなものだ。
「桜都。……状況はどうだ」
『ただいま、「結城秀一」のプログラムを捜索中です。……既に起動されているはずですから、慎重にしないと気づかれるでしょう』
 気づかれるでしょう、とは何とも他人行儀な、まったくの他人事のような言い方だが秀一は気にしない。
「そうか。……しっかりやれよ」
『YES。……目標発見しました。これより干渉開始します』
 少女の声にくすり、と微笑んで――秀一は、席を立った。
「すまないがしばらく頼む。ちょっと急ぎの用を思い出した。十分ほどで戻るから」
 そう言って部屋を出る。無論、急用など本当はない。桜都の方への興味が、状況的な制約に勝ってしまったというだけの事である。
「……さあ、どうなる……?」
 秀一はにやにやという表現がちょうどいい笑みを浮かべる。至極楽しそうだ。
 廊下ですれ違ったうち何人かが、その表情に思わず振り向いた。だが秀一が『いいこと』――つまり、深刻な事態を招かずに人をからかって遊ぶ適当な悪戯――を思いついて少々にやつくのはいつもの事だったので、誰もそれを特別なこととは思わなかった。
 日頃からおかしな行動をしているのも、たまには役立つものである。

      *      *      *

「……いいな、次開けるぞ」
 先ほど「それぞれの苦手なものがでてくる可能性がある」と示唆してしまった英晴が、責任を取ってか今度はドアノブに手をかけている。
「何が出てくるんだろ……」
 そんなものは、開けてみなければわかるはずもないのである。
 だが「がちゃり」と音を立てて開かれたドアの向こうには、板張りの細長い空間――一階の廊下しかなかった。
「あれ、何だつまんないなあ」
 秋はもう楽しみ始めている。彼女の苦手なものが出てきてもいいのだろうか。
「……ここは普通に繋がってたみたいだな」
 二階の廊下から一階の廊下へ、ドア一つで繋がるという状況を普通と呼ぶならばであるが。
 英晴はそのドアが閉まりきらないようにする。いざというときのために使える経路は残しておきたいところだった。
「よし、次行こう。じゃ、次はあたしが開けるわね」
 秋は言って、その対面にあったドアを開けた。
「ここは……あ」
 秋が小さく声をあげたのを聞いて、後の三人がドアの中を覗き込んだ。一応みんな興味はあるらしい。
「……由乃、か?」
 英晴は確認するように呟いた。
 そこには滝があり、川が流れていた。滝の真下で、白い質素な和服を纏った幼い由乃――だいたい小学校に上がったか上がらないかくらいだろうか?――が目を閉じて座禅を組んでいた。一心に精神集中しているように見える。
 その中の季節は冬らしい。子供の由乃のかわいらしい、紅葉みたいな手が、寒さのせいで赤くなって余計に紅葉に似て見えた。
「寒そう……」
 秋が思わず入っていこうとしたが、友典がその肩を掴んで止めた。
「何すんのよ。かわいそうじゃない」
 秋がむっとして言うと、友典は囁くように言った。
「彼女の集中が切れる。……それに、これは過去の映像なんだ。今、あの子が本当にここにいるわけでもないだろうし、干渉することは多分できないよ」
「……そっか」
 つぶやいた秋がドアを閉めようとした瞬間、ドアから見える範囲内に突然黒い影が現れた。――熊である。ここはどうやら山奥らしかった。種類がわかるほど近くはない距離に現れたそれに、小さな由乃はまだ気づかない。
「……ほ、ほんとに止めるなって言うの、これでも……!?」
 と言うか、こうなってしまうともう止めようにも止められまい。友典の顔からもさすがに血の気が引く。英晴は今にも飛び出しそうだが、立ち位置の関係上友典が邪魔らしくできないでいた。
「……待つんだ。今の由乃が生きてる以上、この状況は何とかなるはずなんだから」
 そう言いながら一番強く拳を握り締めているのは友典である。
 幼い由乃が目を開いた。何気ない表情で熊を見る。別段そのぼんやりとした表情が変わるわけでもなく、ただそこにいるのを確認した、という様子だった。
「……」
 ただ視線だけがそちらを向いているだけで、他はまったく無防備なのに、何故か由乃には隙が感じられなかった。と、
「おーい、由乃!……あ」
 由乃の名を呼びながら、同じような白い和様の衣を纏った青年が走ってくる。その目が明らかに、熊ではなくドアのこちら側にいる彼らのほうを見ていると感じとって、英晴は身体を強張らせた。
「――動くな、じっとしていろ!すぐに行く!」
 それは――由乃に向けた言葉とも、彼らに向けた言葉とも取れた。
「大丈夫です。……きたる兄さま」
 由乃はそのまま熊に向かって一歩を踏み出した。
「あなたにわたしを妨げる意図のないことは承知しています。しかし、ここにいらっしゃるよりはお家にお帰りになったほうがよろしいのではないかと存じます。ここは人間がよく参りますから」
 言いながら歩を進める、その姿はどうにも人間には見えなかった。熊のほうが怖気づいて数歩下がる。
「脅えないでください。脅かす気はないのです。ただここは安全ではないですから……」
 そうっと差し伸べた右手が熊の毛皮に触れるかと見た瞬間、熊は一気に体勢を崩し、一目散に逃げ去っていた。
「……動くなって言っただろう、由乃!」
「いえ。修行の一環と思えばどうということも……。ただ、脅かしてしまって悪いことをいたしました」
「ったく、しょうがないやつだなぁ――」
 苦笑して青年が振り返る。無声で何かを言った。
 ――こいつはこんな奴ですが、皆さん、今後ともよろしくお願いしますよ?
「――あ、その」
 友典がその唇を読み取って返事をしようとした瞬間に――滝まで含めた景色の全てが消失し、後に残っているのは電気のついていない薄暗い部屋だけになった。

      *      *      *

 秀一は自分の部屋に帰りついた。隠し扉を開ける。
「桜都、状況は……」
 開けて覗き込んだ瞬間に、あぁ、という悲鳴とも驚きともつかない声が聞こえた。
「一体どうした……桜都?」
「――まさか、こんな、ことが」
 動揺、という風には聞こえにくかったが、その声は震えていた。
「お父さま……利用は、不可能、です」
「――何があった?」
 あくまで冷静に問いながらディスプレイを覗き込んだ秀一の目の前に、まるで彼自身を鏡に映したかのようなそっくりな影が登場した。
『やあ――何だか面白いことになっているみたいじゃないか。僕も一枚、噛ませてはもらえないかな?』
 そこ――[STEB‐AUTO HEART]のディスプレイの中には、紛れもない『結城秀一』が微笑んでいたのである――。

To be continued   


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