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 彼の『眼下』に広がるのは電子の海。
 彼に聞こえる『音』は、流れる電流そのもの。
 ――藤四郎は、専用インターフェイスをつけた状態で椅子にかけていた。
『さすがにすごいですね……現実じゃあ、そう簡単には叶わないことだ……』
 いくらか陶酔したような響きをもって、藤四郎は呟く。
 このインターフェイスは現実世界には存在しないはずのものだ。キーボードもマウスも不要、ただ使用者の意志だけでコンピュータを操る夢のような道具ツール。彼が今いる場所は現実世界にやや近いが、そのほとんどが夢の中のようなそういう場所で、だからこそこんな実現困難な機械も『仮想現実バーチャル・リアリティー』としての存在を得ることができ、そして藤四郎はこれらのものを身につけることができる。
『いや……ぼーっとしている場合じゃありませんね。早く彼らを片付けないと』
 苦笑して頭を振り、藤四郎は迫る追っ手に『手』を伸ばした。

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「って……何やってんの、英晴?」
「いやその……うん?外に出たと思ったんだけどな?」
 困惑しきった表情で英晴は言う。
「だってほら、……秋、一緒に来てみなよ」
 英晴は秋の手を引っ張って、さっき外に出た――はずだった――扉のところまで連れて行く。
「こうやって、こうだろ?すると……」
 説明しながら英晴は秋の手を引き、秋はそれに素直に従って一歩を踏み出す。すると、
「……ああ!?」
 秋が唖然として声をあげた。敷居を越えた瞬間に軽い眩暈を覚えたかと思うと、次に見えたのは彼女らの背後から見守っていたはずの友典と奏流の背中だったのだ。
「おおー、面白ーい」
「そんなこと言ってる場合かっ!」
 英晴が思いっきり突っ込んだ。一粋の性格がうつりつつあるようだ。
「考えてみろよ、こっちの勝手口とあっちのドアが繋がってるって事は、この部屋から出られないんだぞ!」
「おお、そうかも。……って、だったらそんなこと言ってる場合じゃないじゃない!」
「だからそう言ってんだろ!?」
「あ、それもそうね」
 漫才のような会話である。
「……ああ、この部屋にドアは、そっちとこっちしかない……」
 友典は何かを考えているようである。
「……しかし、絶対に出ることができないと限ったものでもない――そうだね……一度そのドアを閉めてみるっていうのはどうだろう」
 秋が驚きの声をあげた。
「閉める?……大丈夫なの!?」
「確信はないんだけどね……一定のドアが一定のドアに繋がっているとは限らない。まあ、確かにもっととんでもないところに繋がってしまう可能性もあるわけだけどね」
 友典は自分から率先して勝手口を閉め、ドアのすぐ側にいた英晴にも促した。英晴は少しためらってから、そのドアを閉める。
「……さて、こっちを開けてみるよ」
 友典は唾を飲み込みながら言い――しかしその瞬間に、奏流が英晴の方のドアに駆け寄ってひょいとばかりに開けていた。
「あ、おいっ?」
 一瞬反応が遅れた英晴は、奏流の行動を止められないままだ。
「――え、ええと……」
 友典もやることを失って困っている。
「大丈夫。由乃のとこ、行こう」
 困惑する大学生三人組をよそに、奏流はにこにこと笑いながら敷居をまたぎ越えた。
「って、おい……!?」
 つられたような形で英晴もそちら側に乗り出す。踏み出したそこは……二階の廊下だった。
「なるほど、ここに出れば……やるじゃん奏流!」
 別に何をやったわけでもなく、ただ単にドアを開けただけではあるが、誉められた本人は至極嬉しそうに身体を揺らした。
「おーい、二人とも来いよ。二階の廊下だ」
 半信半疑、といった様子で二人が出てくる。秋が後ろ手にドアを閉め……。
(……閉め?)
 英晴ははっとした。
「わーっ、閉めるな閉めるなっ!居間に出られなくなるっ!」
 しかしもう遅かった。秋にしてみれば慣れた動作をやっただけなので、余計に途中で止めにくかったのだ。
「あ、……しまった!」
「秋ぃぃぃ……」
「……まあ、済んだことだ。しかたがないさ」
 友典は諦めたように軽い溜め息をつき、そして自分たちが出てきたと思しきドアを見遣った。そこは二階の客室の一つ、ちょうど彼らが利用していない空き部屋だったはずである。
「今度はどこに繋がってるんだろうな?」
 興味を持って開けてみると、
「ああ、遅刻しちゃう遅刻しちゃう!」
 と叫びながらが出てきた。
「……は、はいぃ?」
 秋が目を白黒させ、おかしな声をあげる。
「ああ、もうっ、目覚し時計のばかっ」
「……」
 奏流を除く一同がぽかんとして見送っていると――奏流は「うわあ、秋がふたりいるっ」と何だか嬉しそうな様子だ――、その『秋』はぱたぱたと数歩走って、そして階段に差し掛かる前に、ふっと消えた。
「……」
 友典と英晴がそっくり同じ、間の抜けた表情をしている。秋はその二人よりももっと大きく目を見開いていた。
「ねえ、もう一回やってよ。おもしろかった」
 そんなことを奏流は言うが、予想もできなかったことをもう一度再現するのは困難……と言うか、はっきり言って無理である。
「……ああ、もしかすると一週間くらい前の朝のあたし、あんな感じだったかも……。ってことは、今のは今じゃなくて、昔?」
 傍で聞いているとさっぱり意味がわからない言葉だった。
「今のあたしはここにいるあたしだけのはずだから、そうしたら今のは今のあたしじゃないあたしだってことで、ということは昔かもっと先かどっちかで、覚えがあるから昔なんだと思うんだけど……って、わかんないよ何が何だか!」
「何が何だかわかんないのはこっちだよ!」
 ……訂正。
 当事者たちにも何が何だかさっぱりわかっていないようである。
「……つまり、秋は今見た場面に心当たりがあるってことだね?」
 友典が状況の整理をはじめた。
「一度に同じ人物が二箇所に存在することはありえないから、今のは未来か過去の映像ヴィジョンだ。そして、当事者である秋本人は、今の場面を覚えている。だから今のは過去の再現だ、ということだね?」
 秋は友典の言った言葉を再度反芻して、やがてうんうん、と頷いた。
「そういうことだわ。……何なの?家の中のドアがいろんなところに繋がっている、ってだけのことじゃないわけね、これは?」
「どうやらそうらしいな……うっかり開けたら危ないかもな」
 英晴が幾分か頬を引きつらせて言った。
「何?ゴジラなんかがでてくるとか」
「……いや、それはまずないと思うけどな」
「何で?」
「『おれたちの』過去でも、未来でもないはずだからさ」
 将来このうちの誰かがゴジラの着ぐるみを着るとか、まさかとは思うが将来ゴジラのお嫁さんになるとか……そういったことがないとも言い切れないが、まずないはずのことではある。
「多分、鍵になるのはおれたちなんだ。逐一おれたちが中心になって状況が動いている。地震の揺れの時だってそうだし、今だって多分そうなんだと思う」
 英晴は述べた。友典が、なるほど、と頷いている。
「だから、そうなると何がまずいかって言うと……めちゃくちゃ苦手なものが突然出てくるかもしれないってことなんだよ。出会ったこともなくて苦手なものってそうそうないだろ?出会ったときの瞬間が出てくるかもしれない」
 その言葉に、それぞれが自分の苦手なものを思い浮かべて顔をしかめた。もちろん奏流は一人だけ、何だか楽しそうに何かを考えている様子である。苦手なものというのもないのかもしれない。
 そして――英晴のその推測は大当たりだったのだ。

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