部屋に戻った結城秀一は、彼専用の電話の受話器を手に取った。
イギリスの国番号、それに続いて電話番号を押し、しばらく経って出たホテルの電話番に望む相手の部屋番号を告げる。
「――何ですか、結城主任」
やがて寝ぼけ声が応じた。
「……そっちは昼でしょうけどね、こっちは夜中の三時ですよ三時。まっとうな神経の人間が電話かける時間なんですか」
寝ていたところを起こされ不機嫌なのか、単なる一研究員であるはずの相手は主任たる秀一に対してそんな嫌味を言った。
「ずいぶんな物言いをするじゃないか。例の最速の特別便はまだ着いたばかりのはずだぞ。今の今まで寝てたんだろう」
「あれ、ばれてます?」
向こう側でくすくす、と笑う声がした。
「で、何のご用でしょうか?主任」
「ああ。おまえがしばらく前まで担当していた装置――[STEB]のことで、少し聞きたい。実は今現在、あれが動作しているんだが」
電話の向こうにいる研究員――電気電子部門のホープである、『
羽澄遊帆』はその言葉に不思議そうな声を出した。
「動作してる?本当ですか?」
「ああ。何か知らないか?」
言いながら、秀一はにやりと笑う。だがそれが電話の向こうに伝わるはずもない。
「知りませんよ。俺、
今回は出張中なんですから」
相手は至極まっとうな答えを返したが、微妙に取り繕えていない。秀一は相手がこの件に関わっていると確信した。
「そうか、知らないか。なら仕方がないな。……停止させる方法は?」
「そうですね……初期動作とかデモンストレーションだったら電源を切るコマンドを打ち込めばいいんですが?」
「あいにくとどちらでもないようだ。僕も一応あの企画には多少関わった人間だよ?それくらいの区別はつく」
「じゃあ――通常動作ですか!」
驚いたような響き。だが、きっと電話の向こうでは遊帆も自分と同じように笑っているだろう。秀一にはその様子が容易に想像できた。
「――そう呼ぶのか?とにかく、その動作状態らしいんだが、電力を異常に消費するからね。早めに電源を切りたいんだ」
電話の向こうとこっち、イギリスと日本の双方で策を腹に抱えてにやにや笑いながら話しているこの状況は結構愉快だな、と思いながら秀一は答えた。
「通常動作でも、電源オフのコマンドは使えますけどね……」
「使えるのか。なら――」
秀一は電話を今にも切ろうか、という様子を見せる。遊帆は焦るでもなく、続けた。
「――でも、駄目ですよ。装置そのものの状態としては確かにコマンドを受け入れますけど、通常動作からいきなり電源を切るということはできないんです。なぜなら――」
遊帆は言葉を切った。
「――なぜなら、通常動作をしている状態というのは、ゲームに
参加者がいる状態だからなんですよ」
「参加者……?」
秀一は楽しそうに問い掛ける。もちろん声のほうには、笑いの色は欠片ほども滲まない。
「そう、参加者です。[STEB]はゲームのハードですから。……強制的に電源を切れば、当然参加者にも害が及ぶんです。気絶するくらいですめばいいですが……悪くすると、一生目が覚めなくなったりしますから……」
「ふうむ、それは大変だな。で……停止方法は?」
言いながらイギリスにいる遊帆の顔を思い浮かべる……きっと今ごろ、軽薄な茶色の瞳を忙しく瞬いているか、黒髪をかき回しているに違いない。それが、相手が策略にはまったと感じたときの遊帆の癖だ。
「ゲームが終わるのを待つほかないですね……あるいは参加者関連の回路だけを残して、周辺をシャットダウンするっていう手もありますけど……微調整が難しいですよ。今の、俺を欠いた電気電子部門にそれだけの技術者はいないでしょう」
随分と自信過剰な発言である。が、秀一は同意した。
「そうだな、厳しいね。……参加者に危険が及ばない範囲で、できるだけのことはしよう。早くそっちの仕事を済ませて帰ってきてくれ」
「はい。……では、お休みなさい」
羽澄遊帆は電話を切った。
秀一は浮かべた笑いを抑えもしないまま、しばらくソファーに座っていた。
「『今回は』とはねえ……全くもってあいつときたら」
遊帆にはこちらで解決させる気などさらさらないのだ。今回の件については知らない、と言ったが、無論今現在この策謀に参加している彼がそんな質問に素直に答えるはずがない。
「参加者は――多分、『あいつら』だろうな」
[STEB‐SOUL]の参加者は夢を見ている状態で眠りつづけ、その中でゲーム世界を体験する。だから、開発初期には〈ドリーム・プロジェクタ〉あるいは〈バーチャル・プロジェクタ〉とも呼ばれていたのだ。――それに参加しているのは、恐らく彼がよく知る、あの大学生たちだろう……。
「――なかなか楽しくなってきたな……」
銀縁眼鏡が、きらりと光を反射した。
* * *
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