相変わらずわたわたと手足を動かしていた奏流の動きがぴたりと止まった。
「?……どうしたんだ?」
英晴は問い、奏流の黒瞳を覗き込んだ。
「……ああ……」
落胆したようにも、感極まったようにも、あるいはまったく何らの感情も持たないようにも取れる声が奏流の唇から漏れた。
英晴は奏流の視線を追い……そして絶句した。
その表情に他の四人もその視線の先、結城コーポレーション本社ビルに目を向ける。
「……!?」
友典は何かを言いかけたが、驚愕のあまり声にならない。
「な、なんやあれはっ」
一粋は
未確認飛行物体でも見つけたように、大きく目を見開いてそのさまを指差した。
実際、UFOと同程度……否、それ以上に不思議な光景が展開されていたのである。何しろ世界有数の大企業の本社が……その巨大な建物が、さながら初めから蜃気楼であったかのように
虚空へと溶け込んでいったのだから。
……ビルが完全に見えなくなってからもしばらく、ひどく居心地の悪い沈黙が続いた。
友典は茫然自失してただ突っ立っているだけで、他の五人も唖然として既に虚空と化したその場所を見つめているだけだった。
「……おい、嘘だろ。詐欺だろこれは」
英晴が呻いた。
嘘や詐欺であんなものが消えてたまるか、とも思ったが、それがもっとも正直な心情だった。
「……だ」
虚ろな、囁きのような声で友典は言う。
「これは……現実じゃないんだ」
そう。これが、現実なんかで、あるわけが、ない。
現実の世界では、いつも通りにそこにはビルが建っていて、いつも通りにそこでは社員たちが働いていて、いつも通りに兄が悪戯の策略を練っていて。
いつも通りに……。
「……とにかく、一度行ってみよ。遠目やったら見えん、気づかんことがあるかもしれないやんか。考えるんはそれからや」
一粋が幾分か気の毒そうに言う。
「……友典さん、聞いてください」
友典に手を放されて地面に落っこちた奏流。その頭に手を置いて、由乃は囁きかける。
「今、ビルは消えてしまいました……ですが、絶対に誰も亡くなってはいません」
友典ははっとする。由乃は続けた。
「もしも誰かが亡くなったのなら、もっと周辺の
霊たちが騒ぎます。今は皆さん、いつもと同じようにしてらっしゃいますから」
慰めているんだか何なんだか今ひとつよくわからない台詞である。
「……あれ?そう言えばさっきも言ってたけど、ここに来てから見えないんじゃなかったの、幽霊」
秋がはっと気づいて聞いた。
「いえ……最初の朝には見えなかったんですが、今朝起きてからはどうしてかいつも通りに見えるようになりました。空間全体の霊気の密度が濃いのは変わりませんけど……」
わたしにも本当に、理由がわかりません――由乃は首を傾げた。
「それと……一つ、思い出したことがあるんですよ。まさかと思って考えてもいなかったんですが……この場所の霊気の濃さ、まるで、
夢の中のようなんです」
秋が目を見開いた。
「じゃあ、本当に、現実じゃ……ないってこと?」
「はい。ここは現実に存在するどこかではありません……わたしたちは自分たちの世界とそっくりの異世界に飛ばされてきたのではなく――誰かさんの、夢の中にいるんですよ」
由乃は言い放った。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「……由乃さん、鋭いなあ」
どこまでばれてるんでしょうね。
藤四郎はまた呟いた。この部屋には彼のほかには誰もいない。自然、独り言が癖になった。
「……どうやってフォローすればいいんでしょうね、これ」
さすがに、第二の我が家ともいうべき結城コーポレーション本社ビルを失った友典のショックは大きかったに違いない。ましてや現実であれば、そこには彼の家族や親族も大勢いたのだし。
「
結城主任なら、どうするんだろう……」
あの人は悪戯に慣れてるから、予想もつかない方法でフォローしてのけるんだろうけれど。
彼は考え込み……やがて、突然立ち上がった。
「そうか、結城主任だ!」
あの人ならば、今更悪戯の一つや二つ付け加えたところでどうということもないはずだ!
彼はひとりガッツポーズを取って、またキーボードに向かった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
とりあえず行ってみて考えよう、という一粋の提案に乗った形で、六人は再び結城コーポレーション本社ビル――の、跡地?――に向かって歩き始めた。奏流も降ろしてもらっている。いい加減降ろしてあげてもいいんじゃないですか、と由乃が言ったおかげだ。
特に誰も何を言うこともなく、やや緊張した面持ちで歩いていく。ビル跡地まで後五十メートルというところまで迫ったときに、英晴の耳がぴく、と震えた。
「――なんか、わあわあ騒いでる……」
「行ってみよう」
友典が先に走り出した。
そこ――結城コーポレーション本社ビルが建っていた土地の周りにどうしたわけかテレビ局の中継車が数台止まっており、山ほどの野次馬が熱狂的に騒いでいた。大画面のモニターがその場に置かれている。
「……!」
友典の足が止まる。
そのモニターに映っていたのは、
「……は、ははは、ははははははは」
赤茶けた土地とその上に乗っかった平らな岩山――オーストラリアにある「地球のへそ」ことエアーズロック――と、そのさらに上に『親亀の上に小亀、小亀の上に孫亀……』状態で乗っかっている結城コーポレーション本社ビルだった。六十階建てのビルがエアーズロックの上に……上層階の高度は一体どんなになっていることだろう。
「――やぁりましたあっ!世紀の魔術師っ、
志藤紹明ぃっ!見事結城コーポレーション本社ビルを瞬間移動させてしまいましたあっ!」
「人の家をネタに、なんて怪しいことをやってるんだっ!」
……友典は実にもっともな突っ込みをした。しかしその怒鳴り声を気にもかけず、アナウンサーはにこやかに、
「それでは、エアーズロックに結城本社ビルごと移動なさった、結城コーポレーション電気電子部門責任者の結城秀一さんにお話を伺いましょう!結城さーん!?」
『はい、結城秀一です。……瞬間移動は初めての経験でしたが、なかなか興味深いものでした。宇宙遊泳もこんな感じなんでしょうか、浮遊感を感じたと思うと一瞬意識がなくなるような不思議な感覚がしまして……やっぱり、このビルを使ってもらってよかったですね』
営業用の笑顔を浮かべながらの返事。映っているのは明らかに、秀一である。
……ああ、やっぱり。
英晴と友典がその瞬間に思ったのはそれだけだった。
「……兄さんが関わっているんじゃ、もう手の打ちようがないね」
「……そうだな」
二人はやや引きつった笑みを交わし、あまりのことに後ろの方で立ち止まってしまっている四人を顧みた。
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