三、のぞこころつばさのように

 ――死んでも叶えたい、夢があった。――
 ……何故そんな夢――あるいは『野望』――を抱いたのか、そんなことは今更どうでもいい。そんなことがわからなくても、今自分が『ここ』にいるという事実だけで十分だった。
 きっと自分は恵まれていた。困難なはずの条件は全て揃っていた。『それ』を作りうる環境、知識、そして技術――神など信じるつもりはないが、まさしく天の配剤としか考えられない、幸運。
 だから自分は、ここまで来ることができた。夢の実現まで後一歩のところまで。
 古来、人が抱きつづけて、そして叶えられずにきたこの夢を、自分はもう少しで掴み取ることができる。
 間違いなく自分は、古今東西の誰よりも、『それ』に最も近いところに立っているのだ――。

      *      *      *

 羽澄藤四郎が、密閉空間で突如、姿を消した――その事実は、結城友典邸をにわかに騒然とさせた。
 しかし、それ以上に。
「何よ……何なのよこの書き置きは……」
 秋が、呻いた。彼女の受けた衝撃の大きさを、その声の震えが如実に反映していた。
「……ひとつ、言えるのは、だ」
 友典が険しい表情で、一言一言区切るようにして言う。
「僕たちは、騙されていたってことだ。……藤四郎は、今回のこの現象に、その原因にかなり深く関わっている。それも恐らく、首謀者の側の人間としてね」
「お、おい、待てよ。……そう言い切ることはできないんじゃないか?たった今、藤四郎が連れ去られて、犯人がこれを置いてって、あいつに罪を被せようとしたって考え方もできるだろ?」
 慌てて英晴が藤四郎を弁護する。しかし友典の確信――実際正しいかどうかはわからないが――はまるっきり揺るがなかった。
「確かにそういう解釈もできる。それは僕もちゃんと考えたよ。……しかしよくよく思い返してみれば不自然なことが多すぎる。……覚えてるだろ、藤四郎の荷物が妙に大きかったのは。たとえあのゲームの箱が入っていたとしても、あれだけの大きさの荷物だ。何かおかしなものを持ち込むことは、決して不可能じゃない」
 言われた一同の脳裏に、『昨日』の藤四郎の姿が浮かんだ。
 荷物を運んでいるというよりは、荷物に引きずられている表現した方がいいような様子。昨日出してきたゲームの箱ならば十個くらいは軽く収まるような巨大なスポーツバッグが、ぱんぱんに膨らんでいた。
「……うう、ありうる、かも」
 思わず秋が呟く。一粋は腕組みをして難しい顔で友典を見ていた。由乃は困ったような表情で、心配そうに場の様子を眺める。
「そして……そう考えてみると、あいつの行動には不審な点が幾つか見つかる。それに、ここにいる五人は割に早くからの……大体幼なじみといってもいいくらいの付き合いがあるけど、あいつだけは大学受験の当日に会場で知り合った。それ以降のせいぜい数ヶ月のうちに、あいつはこういった場に参加するくらいに、接近している。それも、初めから目的を持って近づいたと考えれば……」
「……ええかげんにしいや」
 ――と、黙り込んでいた一粋が、突如口を開いた。話の腰を折られた友典が鼻白む。だが一粋は気にすることなく彼に向かって大声をあげた。
「さっきから聞いてればごちゃごちゃごちゃごちゃとっ、何やおまえは!何でそないな事しか言えへんのや!」
 一粋は、左手で壁を突いた。どん、と低い音がする。階下から誰かが駆けつけてくるかと思いきや、耳を澄ましても誰の足音も聞こえてこなかった。
「ようもまあそないに酷いことが言えるもんやなあ!ついさっきまで信頼しきってた仲間ちゃうんか!ちょっと裏切られたかも知れんゆうて、証拠もないのにそうやって、信じとったっちゅう事実まで消してまうてゆうんか!そんなん間違うとるわ!」
 若白髪の混じる頭を振り乱し、一粋は怒鳴る。売り言葉に買い言葉というもので、友典もまた端正な顔を怒りに上気させて叫び返した。
「じゃあここまでされてあくまで信じろって言うのかい!こんな手紙を、本人の筆跡で誰が準備できる!?これは藤四郎自身の、言ってみれば罪の告白なんだよ!疑って何が悪いんだ!」
「……言わせておけば……!」
 手を出せず見ていた秋が、「もう、やだ!」と悲鳴じみた大声をあげて二人の喧嘩に踏み込んだ。
「いい加減にしなさいよもう!そんなの見たくないよ!」
「黙ってろよ!」
「友典!秋に当たるんはお門違いやで!」
 大混乱である。――それでも階下からは、誰も上がってこなかった。
「……どうしよう」
 英晴は途方に暮れた。本当は彼自身、友典があまり藤四郎のことを酷く言うようなら怒ろうと思っていた。しかし先に一粋が切れてしまったので、タイミングを逃してしまったのである。
「……由乃、どうしよ」
 隣で同じく傍観者をやっている由乃に尋ねた。彼女は「あらあら」などと言いながら、三人の言い争いを困った表情で見ている。かわいらしく小首を傾げながらの返事は、一瞬間が空いて返ってきた。
「……わたしでは、普通には止められませんので……。英晴さん、何か手がおありですか?」
 由乃の返事の『普通には』がやたらと気になった英晴だが、取り敢えずそこには突っ込まないことにして答えた。
「……そう簡単に思いつくなら聞かないって」
「それもそうですよね……」
 二人は嘆息した。今のところ、喧嘩は三つ巴の様相を呈してこそいるが、誰も手は出していない。三人がお互いに怒鳴りあっているだけだ。三つ巴というよりは三竦みなのであろうか。
「けど一度手が出たら……大怪我するのは、一粋だからなあ」
 真剣な目で、隙を窺うように三人を見つめる英晴である。
 友典も秋も、多少なりとも格闘技を習った事がある。何も格闘技術を持っていない一粋だけが明らかに、三人の中で一番不利だった。
「ほどほどで止めないといけないんだけどさ……」
 けど、どーやって止めよう。
 英晴は、三人から目を離さないまま頭を捻った。
「……何で友典さん、今日はあんなにご機嫌斜めなんでしょう?」
 由乃がふっと、呟く。
「そりゃ状況も状況だし、それに疲れてるから余計……あ、そうか」
 返事の途中で、英晴ははっとして手を打った。
「由乃、偉い!最高っ。そうだよ、疲れてるんだよな。そうだそうだ」
 何だかわからないが納得してうんうんと大きくうなずく英晴に、由乃はにっこり微笑んだ。
「何か思いつかれました?」
「OK、OK。さっすが由乃」
 英晴の方はにやっと笑い返す。
「?」
 由乃には英晴の意図が読めない。ただ曖昧に微笑しながら首を傾げるだけである。
 疑問符を浮かべる由乃の隣から、英晴は三人の方に向かって歩き始めた。秋の真向かい、つまり三人全員と向かい合うような位置に回り、大体一メートルくらいの距離を置いて立ち止まる。
「――もう、いい加減にしてってば!」
「――うるさい!……とにかく、藤四郎は僕らのような『被害者』じゃない、明らかに『犯人』の側の人間なんだ!」
「なんでそないなことが言えるんや!根拠なんかないやないか!おまえの当たるんか当たらないんかわからん推測で非難されとるあいつのことも考えてみたらどぉなんや!」
「状況証拠ばかりだが、断定の理由には十分なりうるはずだ!」
「じゃあかしい!さっきまで信用しとったくせに、手の平返したみたいにそうやって悪くゆうんやな。最悪に格好悪いで、今のおまえ。大体いきなりこんな事になってもうて取り乱すんはわかるけどな、それで周りに八つ当たりするなんて子供ガキとしか言いようがないわ。わー、格好悪ぅ。子供や子供やー」
 むしろそう言っている一粋の方が大人気ない。本人達ももう何をやりたいのかわかっていないのかもしれない。
「ああもう、いい加減にしなさいって、言ってるでしょっ!?」
 何回目になるだろうか、秋が叫び――一瞬遅れて友典が、一粋に反論しようと息を吸い、その刹那――
「――!」
 英晴の喉から、無音の気合いが迸った。
 由乃には、何が起こったのかわからなかった。……というよりは、見えなかったというべきか。
 ただ、怒鳴りあっていた三人が突然静かになった。
「……英晴さん……?」
 そっと声をかけると、
「……由乃、手伝ってくれ……出られない……」
 三人の体を支えながら、英晴が情けない声を出した。

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