友典宅は相変わらず大きかった。英晴も一応、親の名義であるとは言え庭付き一戸建ての主人という立場にあるのだが、無論これには遠く及ばない。結城友典邸、外から見ればもはや城のようにすら思える建物である。
 背の高い門を押し開けて、英晴は中に入った。緑に満ちあふれた庭、これにも変化は見られない。
「おーい、友典ぃ?」
 視界内にはいない友人に、声をかける。すると、
「ああ、入っていいよ。鍵は開けてある」
 門柱に取り付けてあるスピーカーから友典の声が聞こえた。噴水や動物型の庭木などの横を通り過ぎ、重い黒檀製の扉――ドアといったよりも、こちらの方が似つかわしい――を押し開ける。よく考えてみれば昨日も、ここには来ているはずだった。
 入るなり、彼は家の主の本気で困った表情に出くわした。色々な意味で突拍子もない状況に慣れているはずの彼がこんな表情を見せるのは滅多にないことである。まあ、当人は慣れたくて慣れている訳でもないのだが。
「……やあ、おはよう」
 溜息交じりに挨拶する彼の顔には疲労の色が濃い。
「あ、ああ。おはよう。……何だよ、何か疲れてないか?」
 友典は更に嘆息し、肩をすくめた。彼はその仕草が大層似合う珍種の日本人である。
「仕方がないだろう?僕だって疲れもするさ……誰に聞いても『二〇〇二年』と答えるんだからね。だいぶ悩んだんだよ。こっちがおかしくなったのかと思っていたくらいだ」
 君が同意してくれて安心したよ、と友典は苦笑した。
「ところで、電話してみた結果だけど、今日を『二〇〇一年の』四月二十九日と認識してるのは、あの日に集まった六人……つまり、僕と君、それに秋、一粋、由乃、藤四郎だけだ。詳しいことは皆が集まってから話すことにするから、その辺に掛けて待っていてくれ」
 英晴はおとなしく椅子に掛けて他の四人の到着を待つ。程なくして秋と由乃が、少し遅れて藤四郎が、そして最後に一粋が到着した。由乃と藤四郎はいつもとさして変わりないが、秋と一粋はいかにも眠そうである。
「おふぁよぅ……」
 訂正。
 秋はいかにも眠そうどころではなく、まだほとんど寝ている。昨日――彼らが覚えている昨日、の疲れが残っているのだろう。普段からこんなに朝に弱い訳ではないのだ。
「……さっきは割と普通に喋ってたのに、どうしてそうなるんだ、秋」
「さっきぃ?……あぁ、もしかして電話くれたんだ?何か知らないけど何となぁくここに来なきゃいけない気がして、無理矢理起きて来てみたんだけど……」
 ……電話の事なんかまるっきり覚えてやしなかった。友典は秀でた眉を一瞬きゅっと寄せ、遺憾の意を表した。
「……まあ、いいさ。来てくれたんだからどうにでもなる。……しかしそんな状態じゃろくに話も聞けないか……ちょっと待ってくれ」
 友典は後ろを向くと、川本さん、と呼ばわった。エプロンをつけた中年の女性がキッチンから顔を出す。
「仕事中すみませんが、コーヒーを六人分淹れてくれますか?」
「はいな、坊ちゃま」
 満面の微笑を浮かべて答え、彼女はまた姿を消した。
「……ぼ……坊ちゃま……ほんとにそう呼ばれてるとは……」
秋が、吹き出すのを必死に堪えているような顔になる。いや、実際その通りなのだろう、今の一瞬だけで眠気はかなり覚めたようだった。瞬時にコーヒー以上の覚醒効果を叩き出した本人は、心なしか赤くなって目を逸らし、呻く。
「……笑うなよっ」
「ああ……ごめんごめんっ、ちょ、ちょっと待ってっ……」
 秋はひとしきり苦労したあとにようやく笑いを収めた。しかしそれでもいつ笑いの発作が飛び出すかわからない様子である。
「っく……いやぁ、それにしても丁寧だね……っくっ……あたしたち相手じゃないときは」
「……だから笑うなって。――僕は雇い主と使用人っていう傲慢な関係は嫌いなんでね。良好な関係を築きたいと思ってるんだから……」
 理想自体は立派である。……だがまあ、見たところその試みは、あまり成功していないような気もするが。
「大体、人生の先輩でもある訳じゃないか。敬意を払うのは当然だろ」
 友典が言っている間に、先程の川本さんがコーヒーカップを六つお盆に載せて運んできた。
「はぁい、どうぞ」
 愛想よく言いながら配っていく。
「……やけに早いね」
 友典が片眉を上げて呟くと、川本さんはさらに笑みを深めて応える。
「先程坊ちゃまが電話なさっているのを聞いて、これはきっと何か飲み物が要ると思って用意しておりました。ご要望があれば、紅茶とココアとオレンジジュースまでならすぐご用意できますよ」
 とんでもない勘の良さである。
「……読まれた」
「ええ、お付き合いは長うございますからねぇ。……もっと私たちにも遠慮なく話してくださいまし。家族同然なんですから」
 さりげなく、しかしきっちりと要求して、彼女は自分の仕事に戻っていった。
「……敵わないな、川本さんには」
 友典が憮然と呟いて、ブラックのままコーヒーをすする。それにならってしばし六人は芳香と苦味を楽しむことにした。

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