Trick or Trick? side-B そして世界の終わる日に

【十月三十一日:滝村由香】
 そりゃあもうささいな喧嘩だったのだ、まったくもって。そして、いつものような喧嘩でもあった。ホント日常茶飯事なぐらいの。
 でもだからと言って腹が立たないわけじゃない。だからあたしはこう言った。
「光ちゃんなんかっ!!」
 目の前で怯む、幼馴染な恋人に。
「光ちゃんなんかどっか行っちゃえーー!!」
 そして願いはすぐに叶った。そりゃもうバカみたいに一瞬に。
 辰巳光太郎、このあたしの少々鈍い幼馴染は、その一瞬にいきなりどこかに消え失せたのだ。
 とりあえずあたしは目を疑った。次に落とし穴を疑った。消えた辺りの床に足を伸ばして、慎重に踏んでみる。……開いたりは、しない。当たり前か。マンガの読みすぎだ。
 じゃなくって。
 マンガより遥かに妙な状況が今ここにある。何だこの完全犯罪。デスノートじゃあるまいし。
 そうでもなくって。
 この完璧な人体消失、見つかったらX-FILEもんだ。人目のない室内でホント良かった。
 いや、それでもなくって。
 ちょっと落ち着こう。深呼吸をする。
「こ、光ちゃんー……?」
 そしたらあたしは途端に心細くなって、光太郎の名前を呼んでいた。思わず腰が抜けて、さっき踏んでみた床のところまで行って、叩いてみる。やっぱり、穴が開いたりしそうな感じじゃない。
「光ちゃん……い、悪戯なら性質悪すぎだよ。隠れてないで出てきてよ」
 悪戯じゃないのは、わかってはいた。どう見ても、光ちゃんはあたしの目の前で、はっきりと驚いた顔をしながら、いきなり消えたんだから。
 でも何をどうしたら信じられるっていうんだろ、そんなもの。どうしろっていうんだろ。
 近くにあったピンク色のソファに、後ろ側から寄りかかる。すると突然、聞きなれない声がした。
「もう流石にちょっと声は届かないと思うよ」
 木星ぐらいにいるんじゃないかな今頃。
 あたしが寄りかかったソファの上から、意地の悪そうなにやにや笑いを浮かべて、黒いスーツの男が見下ろしていた。
「ちょ」
 見られた、と思った。目撃者は消さなくちゃならない、……いやいやだからそうじゃなくって。
「いやあ、お見事お見事。恋の鞘当てでバルドルも一撃」
 まあ未覚醒だったからかねえ、と男は笑った。
「だ、誰?」
「おっと」
 男はソファの上に立ち上がり――土足じゃあるまいな――、優雅な仕草でお辞儀をした。
「申し遅れました、お嬢さん。俺はロキ、世界を引っ繰り返す仕掛け人。近頃は北の御方とも呼ばれるね」
 今年のハロウィンはなかなか素晴らしい、と男――ロキは両手を広げた。
「念願の演目が今ここに到来!さあお嬢さん、テレビをつけてみよう」
 言いながら男は図々しくもリモコンのスイッチを押した。古いテレビが少し時間を掛けて画面を映し出す間に、あたしは一生懸命記憶を探る。
 ロキ。といえば、まず思い出すのは北欧神話の邪神。北欧神話でいいのかわからないけど、それでいいなら一度興味を持って調べたことがある。
 ロキは敵対する巨人族の一員でありながら、オーディンと義兄弟の契りを交わした者――そして、光の神バルドルの殺害により『世界の終わり』ラグナロクを招く者。
「……ちょ……!!」
 さっきバルドルも一撃とか言わなかった?
「ば、バルドル……。光ちゃんがバルドル?」
 呟くと、ロキはチャンネルを変えながら驚いた顔をする。
「うお、ヤドリギちゃん、無駄に詳しい」
「誰よヤドリギって」
 いやまあ、意味はわかる。『バルドルを傷つけない約束を結ばず、バルドルを殺せる唯一のもの』。
「まあ、バルドルだ、うん。世界の滅びはこんなささいな喧嘩で始まる、というわけだなあ」
 見てごらん。
 言ってロキが示した画面の中で、アナウンサーが叫んでいる。
「せっ、赤道上を波が走っていきます! 赤道をぐるりと一周するように、巨大な、巨大な蛇が……! あれが伝説のシーサーペントだとでも言うのでしょうか……!?」
「お前、社会人だろ。いち大学生より神話知識ないのかよ。ヨルムンガンドだっつーに」
 呆れたように突っ込みを入れながら、ロキはチャンネルを変える。いや、無駄に詳しいとか言ったのあんただし、と言う前にあたしは画面に目を取られた。
 ヴァチカンの大聖堂の前に、そびえるように姿を見せた馬鹿でかい狼。……ロキの息子、世界すら飲み込む大顎を持つ狼。フェンリル。
「俺の可愛い息子たちもバルドルの不在に気づいたらしい。まあ厳密には今回は『殺害』じゃないんだが――人間心理、ひいては世界が不安定な今時、あれだけでかい光の因子が一時的にでも欠ければ、鎖を引きちぎるなんて難しくもないわな」
 別に髭が生えている訳でもない顎を触りながら、ロキは楽しそうに邪悪に微笑む。
 邪神。……こうしてみると本当に、光太郎には全然影ってものがなかったんだな、と思う。光の神、バルドル。ってマザコンなところまで一緒か。
 なんかもう何を考えていいのかわからなくなってきたあたしの前で、ロキはぷつりとテレビを消し、目に掛かっていた髪を掻き上げた。
「さーて、どうも有難うよヤドリギちゃん。なかなかナイスなハロウィンになったってもんだ」
 あ、責任は感じないで。企んだのは俺だしね。
 にやっと笑ってロキはベランダに出て、ベランダの手すりに足をかける。うわあ、脚長いなあ。って、だからそこじゃないってば。
  「それじゃ俺はちぃと討ち死にしに行ってくるぜ――それじゃ世界の終わりまで、グッドラック」
 言ってロキは窓から飛び降りて行った。……ここ六階だけど、まあ、本当に神だってならこのぐらいじゃ死なないんだろう。
 ああどうしよう。なんか知らないけど、あたしは世界を滅ぼすのに手を貸してしまったらしい。って、どうしようもないっての。
 あんまりにも現実離れして、どう驚いたり嘆いたりして良いのかわからなくなったあたしの前で――銀色の美しい狼『ハティ』が、逃げ切れなかった月を涼やかに飲み込んでいった。

 世界の皆さん、明日の天気は多分日食です。
 さようなら。永遠にさようなら。
 あたしはとりあえず「うへー」と呟いて、自分のベッドに潜り込んだ。




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