Trick or Trick? side-A 片目を閉じて

 不覚だった。
 ここのところ忙しくて、少し体の管理がなっていないかもしれないとは思っていたが、と彰子は左目を押さえて溜息を吐いた。その掌の下には白い眼帯。……結膜炎である。
(相当抵抗力が落ちてなければ、うつらないのに)
 昔かかった時も、相当に体力の落ちていた時だった。それほどのつもりもないけれど、今もかなり身体が弱っているということなのだろう。
(困ったなぁ)
 この先一週間ほどは課題提出の予定が立て込んでいて、休める当てなどないのだった。だが、片目では課題を進めるのもそもそも難しいから、いっそ諦めて少し休むべきだろうかとも思う。
 片目と言っても開けられないわけではない。見えないわけでももちろんない。しかし彰子には元々時折まぶたを触る癖があるので、眼帯は必要だった。自分の目の治りのためにも、他人に移さないためにもだ。自分で付けてみるとこれほど鬱陶しいものか、と感心したくらいだったが。
 とりあえず、片目だと下り階段が怖いことは今日構内で散々思い知った。視界が狭いので危険度ではどっちもどっちだが、歩道橋ではなくて横断歩道を使おう、とそちらに向かって歩く。
 ……ハロウィンのカボチャ頭が、何かのチラシを配っている。もう風は結構冷たいのに、赤白の横縞の半袖Tシャツにくたびれたオーバーオール。あれだけ大きなカボチャを頭に載せて、よく張り切った声を上げながらチラシなど配れるな、と思いながらすれ違う……その一瞬。
 目が合った。……もとい、目が合わなかった。
 カボチャ頭の中身が、蝋燭だったのだ。
 着ぐるみならば本来人の頭があるはずの位置に、蝋燭が立っていた。
「……!!」
 通り過ぎたところでつんのめるように足を止める。後ろを歩いていた誰かが迷惑そうに避けていく。彰子は慌てて街路樹の陰に寄った。
 それはそうだ、当たり前だ。あんな大きなカボチャ、普通に考えて、中身を刳り抜いたとしても人の肩の上に載せれば相当な重量のはずなのだ。本来なら実物のはずもない。
 だが、立ち止まって近くからまじまじと見ても、それはどう見ても生のカボチャのつやつやとした表面を持っていた。ずっと片目だけで頑張っている右目だから疲れている可能性はあるが、それでもあれは本物だ。
「?」
 目線に気づいたか、カボチャ頭がこちらを向いた。頭がゆらゆら揺れる不安定な歩き方で、彰子の目の前までやってきた。彰子はとっさに退こうとしたが、人の流れに押し戻される。
「んー、お嬢さんー。眼帯なんてしてるからーぁ」
 変な訛りと節のついた言葉。くすくすと笑う声がして、避ける暇もなくすっと伸ばされた手に眼帯を外された。左右の目の焦点が合わない感覚。一分ぐらい目眩に似たそれに悩まされてから、やっと彰子は目の前のカボチャ頭を確認する。
 どこから見てもぬいぐるみだった。少し布より濃い色の糸だから、はっきりと縫い目が見える。
「……あれ?」
 本気で不思議に思って声を上げると、カボチャ頭は小首を傾げて――何となく笑った風だった――、眼帯を彰子の左目に押し付けた。
「ちょっ……やめてくださ」
 言いかけながら右目で見る。
 生のカボチャの中で蝋燭が灯っている。
「……」
「視力障害はぁ、巫女の資格ぅ」
 絶句する彰子の前で、「正確には『資格の一つとされることもある』だけどねぇ」とカボチャ頭は頭を揺らした。眼帯を彰子の手に載せてよこす。
「左目を塞ぐと、オーディンにも重なるのかもねぇ。偶然に見ちゃったんだねぇ。本当なら見逃せないけど、今回は特別だぁ。見ちゃった子には、これをあげようぅ」
 カボチャ頭は胸ポケットを探ると、小さなカードを取り出した。四隅に装飾のついた白い小奇麗な、名刺大の一枚。
「……招待状?」
「そうだねぇ。もっとも、どこに行く必要もないよぅ。今年は北の御方が本気だからぁ、世界中ひっくり返るような大騒ぎさーぁ」
 君は見ちゃったから、一人だけ先に教えてあげるぅ、とカボチャ頭はけらけら笑った。
「それじゃ。眼帯は――必要ないなら外すと良い」
 見えなくて良いものまで見えてしまうよ、と。
 カボチャ頭はそれだけ言って、つい、と雑踏に紛れていった。その背中をついつい見送ってから、彰子は招待状を見る。
『ハロウィンパーティー 演目:神々の黄昏』と、そこには記されていた。
「神々の黄昏……。……《ラグナロク》?」
 それは世界の終わり。
 つまり、カボチャ頭が言うところの『世界中ひっくり返るような大騒ぎ』――。
「……」
 信じて良いのか、悪いのか。少なくともカボチャ頭が、片目で見たのと両目で見たのとで、明らかに変化していたことまでは事実なのだが。
(……とりあえず)
 帰って寝よう。疲れてる。
 彰子は決心して横断歩道を渡り、地下鉄で帰宅して泥のように眠った。

 世紀末でもないのに、世界の終わりを告げるチェーンメールが某大学のネット上を飛び交い始めるのは、その翌日のことになる。




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