交錯 Side-B "鏡の中の魔女"

 みんなでお墓を作りましょう。
 みんなでお墓を作りましょう。
 吠えるばかりの犬さんに。
 可愛い可愛いお人形に。
 みんなでお墓を作りましょう。

 単調な歌の聞こえる方向に歩いていくと、妹の背中が見えた。
 妹は小さなスコップで何かを埋めているところだった。
「何してるの、とも」
「お墓作ってるの。そうだ、お花とってこなくちゃ」
 とっとっと、と妹が走っていく。
 ぼくはお墓を眺めて、あんな小さなスコップでずいぶん頑張ったなあ、と思う。
 そしてふと、足元に気づく。
 黒っぽく濡れている土を見る。血の匂いがする。
 何となくいやな予感がしたけど、土から出てたもの――妹がいつも連れてた人形の髪の毛を引っ張ってみる。
 土の山が崩れて、中から、近所で有名な猛犬の顔が出てきた。白目をむいて、涎を垂らして。
 その右目には子供用の小さなハサミが深々と突き立っていた。

 * * *

 ……それはもう、凄い勢いでうなされた。さっぱり眠った気がしない。
 水でも飲もうかと思って階下に降りてみると、いきなり妹が目の前に飛び出してきた。一瞬驚いて下がりかける足を無理矢理食い止める。
「お兄ちゃん」
「……なんだよ、知」
 眠い目を擦りながら問う。正直、寝起きの――しかもうなされた後の俺の機嫌はあまりよくない。
 妹は一瞬躊躇うような間をおいて、言った。
「これ……お兄ちゃんが映ってる」
「……は?」
 一瞬何のことやらわからずに妹の手元を見る。開かれた箱とDVD。なるほどと合点するが、表情に出すわけには行かない。
「お父さんとお母さんと、お兄ちゃんが映ってる。……十六年分の、誕生日会が」
 妹が継ぎ足した言葉に、俺は冷たく応じる。
「……何言ってんだお前。父さん母さんが死んでだいぶ疲れてるんじゃないのか?」
 妹の額に手を当てる。もちろん、熱なんかない。相変わらず体温の低い奴だなと思う。
「熱はなさそうだけどお前ちょっと寝てこいよ。整理ならやっとくから」
「……疲れてないよ」
 俺は箱を掴みながら、食い下がる妹の額を軽くはたいた。
「いいから寝てこいって。自覚ないから危ないんだよ、お前」
「……はい」
 渋々階段の方に歩いていく妹に見えるうちに、DVDと箱を放り投げる。動揺のせいで少々軌道が逸れて、DVDのケースが割れる。少し心が痛んだ。だがこうするべきなのだと今の俺には分かる。
 妹の足音が階段の上に去るのを待って、俺はDVDと箱を拾い上げた。手提げ金庫の近くに落ちていたカードを拾う。
『もしもの時のために。達樹、十六年分の五月一日を君に』
 周到だったのかそうでないのか今ひとつわからないが、両親の心遣いは嬉しかった。
 無事に記憶は蘇っているけれど、いまやこれだけが俺の思い出を証明してくれるものだ。けれどこれを俺が持つわけには行かない。コピーをとろうか、そう思ってとりあえず懐に隠す。
 ともかく、時が来るまでは俺が両親サイドの人間だと気づかれる訳には行かない。
 ……両親の死によって解けるように、どうやら俺は暗示をかけられていたらしい。それはつまり、あの日見てしまったできごとと妹の存在から俺自身を守るためだった、ようだ。
 近所に飼われていた猛犬を殺した妹の、幼いながらも度を越した残虐性を恐れた両親は、知り合いの心理療法家の手を借りて妹と俺のそれぞれに暗示をかけた。妹にはその人格を塗りつぶすように別の性格を植え付け、俺にはそのできごとを忘れさせたわけだ。だがどちらの暗示にしろ不完全で、妹の方は二重人格のような状態になって時折両親に鋭い攻撃性を示すようになり、俺は俺で妹への怯えが消えなかった。まあ、たかだか八歳の子供が見るにしてはちょっと凄かったから仕方がない。
 そこで心理療法家は、別の対策を講じた。妹に俺を味方だと錯覚させるために、俺が両親と敵対するようにしたわけだ。
 ただそれでは両親があまりに不憫なので、唯一俺の誕生日だけはその条件が取り払われた。その日は妹は無論遠ざけられていたり、場合によっては薬で眠らされていたりした。
 それがこの映像の正体であり、真相だ。
 記憶が一挙に蘇った時は正直どちらを信じればいいのか本気で悩んだが、確かにそれまでにも何度かうなされた覚えのあるあの犬の顔を思い起こせば、信じたいのがどちらなのかは明らかだった。
 部屋の片付けをして、妹はどうやらやってなかったらしい葬儀の手配をする。その晩早めに部屋に引き篭もると、妹がカセットコンロの小細工を始末しに出て行くのが見えた。
 俺が留守の晩に一酸化炭素中毒狙いとは、まったくやってくれたものだ。

 葬儀をつつがなく終え、流石に疲れたので、と言って早めに部屋に戻る。後のことは幾分縁遠い親戚と葬儀社に任せてしまったが、まあ多分大丈夫だろう。そもそも、妹をどうにかしないとこの後なんて俺にはない。
 念のため得物はいつも持ち歩いているが、やはり自分の部屋は自分に地の利がある。……というかどこにいても背後から狙われているんじゃないかと気が気じゃないので、少しでも気を休めるためには部屋にいるしかなかった。
 薄く目を閉じて、ベッドの上で寝転がる。
 少し微睡んだかと思ったときに、何か物音がした気がして目を開けた。
「あら、見つかっちゃった?」
 俺の顔を覗き込むように妹がベッドに上がってきていた。鍵を掛けていたはずだが、今更鍵開けぐらいで驚く気にもなれない。
「……なんだ。やっぱ、お前気づいてたのか」
 俺は嘆息して妹を左手で押し返すと、枕の下から拳銃を取り出した。無論銃刀法違反の代物で、こういう事態を予想していた両親が八方手を尽くして手に入れておいてくれたものだ。
 心理療法家の講じた手は無駄だった。妹は初めから、目撃者の俺も殺すつもりでいたわけだ。
 そしてまた俺と両親の十六年間も――無駄でしかなかった。
 安全装置を外して、妹の目の前に突きつける。
「……素人の撃つ銃が当たると思う? そもそも、その手は引き金を引けるのかしら」
 額に銃を押し付けられてなお、妹は動じなかった。相当に肝が据わっているというか……天性の犯罪者、ということだろうか。自分の恨みがなくても殺しておかなければならない相手だ、と思う。
「残念だけど俺は射撃経験はあるんだよ。海外行ってるからな」
 言うと妹はくすくすと笑う。
「あら、そう。その割に、弾が抜いてあっても気づかなかったみたいだけれどね」
「なっ……」
 俺が一瞬手元を確かめている間に妹は身を翻して部屋の外へと駆けていく。
「待てっ」
 単に隙を作らせるための方便か、気づいて俺はすぐにその後を追おうとした。だがベッドから降りた瞬間、脚に力が入らずにそのまま崩れ落ちてしまう。
「え……」
 ひどい勢いで呼吸ができなくなっていく。視界が狭まる。銃を取り落とした。
 そうかしまった、気づかれてたということは……。今日口にしたもの……葬式後のお茶か? 畜生、弾なんか確かめないで引き金を引くべきだった……。
 足音が近づいてくる。
「……やっぱり、女の殺しは毒殺よね。無駄に血も流さずに済むし、始末が楽なのよ」
 低い笑いが聞こえて、それでも取り返そうと探していた銃が遠くに蹴り飛ばされる。
「せっかく残してもらえた命をそんなことに使うのが、あなたの愚かさだったわね。お兄ちゃん」
 ――そしてその声を最後に、意識が途絶えた。

 * * *

 みんなでお墓を作りましょう。
 みんなでお墓を作りましょう。
 臆病者のピエロさん。
 家族ごっこのおしまいに。
 みんなでお墓を作りましょう。

 ――住人のいなくなったその家の床下に隠されたものが発見されるのは、十数年後のことである。

                --"reflection" is closed.




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