交錯 Side-A "十六年分の五月一日"

 十月十一日。昨日、父母が事故で亡くなった。
 兄が協力姿勢を見せないので、仕方なく私が父母の遺品を整理していたら、父の手提げ金庫の中から、綺麗にリボンの掛かった箱を見つけた。
 ピンク色で、両サイドに銀色のラインの入ったリボン。箱本体はそれに似合わない、そっけない白のボール紙。
 何だかわからないので脇に置いて金庫を引き続き漁って――もとい整理していたら、どうやらそこから落ちたらしい、可愛らしい小さなメッセージカードが見つかった。
『もしもの時のために。達樹、十六年分の五月一日を君に』
 ……達樹は三歳離れた兄の名前だ。両親とは長いこと不仲だった。事故の話を聞いたときはこっちがびっくりするぐらい蒼ざめていたけど、その後はまあ、この通りだからやっぱり不仲だと思う。
 その兄に、両親が送った何か。『十六年分の五月一日』という言葉にも、何かしら惹かれるところがある。不謹慎な気が少なからずしたけれど、好奇心に負けて私はリボンを解き、箱を開けた。
 写真屋さんでもらえるような小さなアルバムが2冊、それと何かのディスク。DVD……だと思う。兄はどうせ部屋に篭って寝ているようなので、私は音量を小さめにセットして、DVDを再生してみることにした。
 ……再生して最初に聞こえてきたのは唐突な破裂音。びっくりして反射的に停止ボタンを押す。
 画面をよく見れば、それは誕生日のパーティーらしかった。クラッカーか何かの音だったらしい。そういえば兄の誕生日は五月一日だったか、と思い出す。私が覚えている限りずっと、延々兄は両親に反抗し続けてきたので、五月一日に何か特別な行事があった覚えがない。
 けれど。
 だとしたらここに映っている兄の姿は、何だというのだろう。少し元気のない顔をしているけど、母に守られるような位置でそれでも笑っている。身長から見ても、私が生まれる前ではない。それどころか、多分私もパーティーに参加していてもおかしくないだろうな、と思うような年頃だ。
 映像が長く続くので適当に飛ばしながら観る。
 どう見ても十歳を越えた体格で、母と並んで楽しそうに語らっている兄の姿。多分毎年のようにビデオを撮っているのが父なのだろう。時々父の声が入る。私はこのとき、十歳前後だったはずだ。覚えていないことはありえない。
 そして画面の中の兄は少しずつ、時には劇的に成長して行き、そして最後の画像は……どう見ても今年の五月一日だった。日めくりの大きなカレンダーが映っているし、私が去年のクリスマスに贈ったシャツを着ているから。流石に二十四にもなって誕生日パーティーはしていないみたいだけど、和やかな団欒がそこにはあった。
 今年の五月一日、私は何をしていただろう。昼間は授業に出て、夜は……サークルの行事で出かけていただろうか。
 なら、去年の五月一日は。一昨年は。その前は。……そこまで思い出せないけれど、一度だってこんな兄の姿を見たことはない。
 私の知らないところで兄は、こんなにも両親と通じ合っていたというのだろうか。
 呆然としながら画像を見ていると、兄が席を立つのが見えた。
「じゃあ父さん母さん、また来年――」
「ええ。達樹、……頑張ってね」
 ……また来年? 頑張ってね?
 一体どういうことなのだろう。引っかかってそのまま見ていると突然画面が横転する。停止せずにカメラを適当に置いたみたいだ。兄が姿を消すと、両親はいそいそと部屋を片付け、何事もなかったかのように母が洗い物をする音が聞こえだし、父が夕刊を読み始めた。
 兄が部屋に戻ってくる。粗暴な動作で椅子を引いて座る、椅子がきしむ。父が不愉快そうに眉を顰めるけど、兄はいつもの通り知らん顔で煙草に火をつける――そんな見慣れた光景に戻る。そこで父がふと気づいた顔をして、離れた位置に置かれていたらしいカメラに近づいてくる。
「あ、何だこりゃ電源切れてない――」
 父の手が伸びてきて画面が暗転して……私は座ったまま、何をどうしたらいいのかと途方に暮れた。
 どちらかの兄が演技だ、ということだろうか。けれど両親といがみ合う兄の姿も、今画面の中で垣間見た両親と親密な兄の姿も、どちらも演技には見えなかった。
 引っかかるのは『また来年』。
 一年に一度ずつ、繰り返される誕生日の儀式。私を仲間はずれにした儀式。
 一体どういうことなのだろう。
 座り込んだまま呆然としていると、階段を降りる足音が聞こえてくる。兄が起きたようだ。
 私は慌てて箱を隠そうとして、ふと思いついて箱を持ったまま部屋の外に走り出る。
「お兄ちゃん」
「……なんだよ、知」
 いかにも寝起きの不機嫌な顔で兄が見下ろしてくる。
「これ……お兄ちゃんが映ってる」
「……は?」
 私も流石に意味が伝わらないかとは思ったけど、咄嗟にそんな言葉しか出てこなかった。
「お父さんとお母さんと、お兄ちゃんが映ってる。……十六年分の、誕生日会が」
「……何言ってんだお前。父さん母さんが死んでだいぶ疲れてるんじゃないのか?」
 兄は私の額に手を当てる。
「熱はなさそうだけどお前ちょっと寝てこいよ。整理ならやっとくから」
「……疲れてないよ」
「いいから寝てこいって。自覚ないから危ないんだよ、お前」
「……はい」
 私は仕方なく兄に箱を渡し、部屋を出る。兄は箱とDVDを一瞥して、投げやりな仕草でゴミ箱に遠投した。ゴミ箱の近くに落ちたDVDのケースが壊れるのが、見えた。
 ひどく無念な感じがしたけれど、私は言われたとおり二階に上がって寝た。
 本当によほど疲れていたらしくて、起こされてみたら葬式の直前だった。
 よくあの兄が準備したなと思ったら、「一応これでも喪主だから」とそっけなく言われた。
 葬儀は父母が生前望んだ通り、ほぼ親戚だけで行なわれた。

 葬儀の後、私はそれでも諦め切れなくて、ゴミ箱からDVDを探し出した。
 ゴミの日を挟まなかったお陰でゴミ箱の中にまだ全部が残っていた。箱はだめになっていたけど、ビニールカバーの掛かっていたアルバムも無事だった。
 洗ったり拭いたり消臭したりして、どうにか体裁を整えてもう一度兄に渡して、聞いてみようと思った。
 あの映像はいったいなんだったのか、と。

 けれど葬儀の翌日、兄は姿を消していた。
 手紙とかそういうのは一切なく、ただ当たり前のようにいなくなっていた。
 だけど私は、多分兄は『十六年分の五月一日』のことを知っていたんじゃないかと思っている。葬儀の後、姿を消したことそのものが、それを裏付けているように思う。……父母に冷たい態度を取りながら、本当は大事に思っていたからこそ、この家に留まれなかったんじゃないかと、そう思う。
 兄が父母を殺したのではないか、それだけが怖かったから、私は今、何だかとても安堵している。

 独りぼっちになってしまったので私は家を引き払って、父母の遺産で自分も旅に出るつもりだ。

                 --"recollection" is closed.




side-Bへ

POT作品インデックスに戻る


[PR]動画