九、仮想世界かそうせかいはいつでもとお

「……ったく、この忙しいときに……」
 いささか本末転倒な悪態をつきながら、遊帆は自室に帰ってきた。
 あの後――志津馬からの通信が途絶えた後間もなく、彼の出張の本来の目的であるはずの機械の修理のために呼び出され、結局今――午前八時過ぎまでかかってしまった。今は時差に慣れていないためおかしな時間帯の活動に支障はないが、午前五時からの仕事と言うのはあまりやりたくないものだと思う。ましてや精密機械の修理・整備など、わずかでも集中力を欠いたら大ごとなのだし。
「……にしても、何があったんだ?――あれ・・が暴走してるなんてことがないといいんだけどな……」
 もし、[STEB‐SOUL]が制御を失ってしまっているのだとしたら――そして志津馬がそれに抑制をかけられないでいるのだとしたら、最悪参加者が全滅する。無論失敗しない自信があってこそこのような、『人体実験』のようなことをしたのではあるが、所詮人間のすることなのだ、百パーセント確実なことなどありえない。
「……人殺しにはなりたくないよなー……」
 当たり前である。
 腕組みをして考え込んでいるうち、遊帆ははたと気がついた。
「なんだ――そう言えばあるじゃん、連絡手段」
 向こうから回線を開けないのなら、こちらから強制的に繋いでやればいい。多少動作は不安定になる可能性もあるが、それくらい大したことではないだろう。
 実はその認識は少々甘い――[STEB‐SOUL]の動作が不安定になると言うのは、ことに参加者にとっては立派に『大したこと』なのだ――が、しかし今現在、取れる手段はそれしかない。
 遊帆は荷物をベッドの上にぶちまけ、掌に乗るような大きさの黒い箱状の装置を取り出した。
「……電力、いやってほど食うんだよな、これ」
 元々こんなものを使う気はなかった。ひとえに給料日が遠いからである。だが背に腹は替えられないのであって、このプロジェクトに失敗すれば退社させられる可能性もあると考えればそれくらいはどうでもいい。いや、無論それ以上に、自分が殺人者――ないしはそれに近い立場――になりたくないと言う心情の方が大きいのだが。
 電話機から電話線を外して、その線と持参した電話線の間に先ほどの装置を取り付ける。愛用のノートパソコンを起動して一言、
「……無事でいろよな……」
 誰に向けられたのかわからないその言葉は、如実に彼の心境を表していた。

      *      *      *

 六人はレストラン『みずな亭』に到着した。さすがに結城家の御曹司――友典だけでなく、他の兄弟たちも――が頻繁に利用するというだけあって、外装にしても内装にしても非常にセンスがいい。しかし洒落すぎていて近寄りがたいと言うのではなく、どちらかと言えば素朴な印象を与える。どこか外国の田舎、それこそ『カントリー』という言葉が似合いそうな田舎の建物である。なのにみすぼらしかったりはしない。余程その辺りのバランスをとるのが上手いのだろう。
「毎度ご来店頂きまして、誠にありがとうございます」
 店主が直々に挨拶に来た。友典はかなりのお得意様らしかった。
「やあ。今日は何か入ってますか?」
「そうですね、いい海老が入っておりますが」
「あ、じゃあそれを……海老はみんな大丈夫だね?」
 五人分の賛同が返ってきた。
「じゃあ後は……」
 友典は加えていくつかの料理を注文した。しかしそこにいた五人のうち、その内容を全て理解できたものはいない。聞いたこともないような料理がその中にいくつか含まれていた。
「……そんなところでお願いします」
「かしこまりました」
 注文を終えた友典を、一種物珍しそうな目で、奏流を除く四人が見ている。
「……なんだい?」
 困惑したように見返す友典に秋は呟く。
「うーん……やっぱ、さすがに慣れてるわね」
 実はレストランの外見が一見庶民的だったから、自分でもどうにかなるかな、と思っていたのである。
「ああ、だけどまあ、今のは多分僕らくらいしか頼まないよ。海老は店長のお勧めだから頼む人もいるだろうけど、もともとさっき言ったのはあるときうちの父が特別注文して以来できた一種の裏メニューだから」
 ……無茶苦茶をするものである。
「あーあー、全く……金のある奴はええわなぁ」
 一粋がちょっとおどけた調子で嘆息した。
「俺、まるっきりわからんかったわ」
 一粋にしてみればほとんど別世界の話である。
 ちょっと雰囲気がおかしくなりかけたところで、
「あ」
 奏流が水をひっくり返してしまった。グラスが床に落ちて、割れる。
「お客様、大丈夫ですか」
 音を聞きつけ奥からウェイターが飛んできた。ばたばたとその場が騒がしくなる。
「ごめん友典、手がちょっと届かなかったの」
「わかった、奏流にはお子様椅子を用意してもらおう」
 しかし水を被ったはずの奏流のズボンは全く濡れていない。なのに誰もそのことに気づかず、気づく気配も見えなかった。

      *      *      *

 NEXT
 STEB ROOM
 NOVEL ROOM



[PR]動画