あしたはきのう

 数年前から日記をつけている。
 十代前半に日記をつけようと決心し、結局大半が真っ白のまま仕舞いこまれていた大学ノートを見つけてからだ。書いてあったことが懐かしい反面物凄く気恥ずかしかったから、結局書いてあった部分はその日のうちに破り捨てたのだけれど……ともかくその残りに、私は今、日記をつけている。日付と天気、それからその日にあった出来事の中で最も印象深かったことを、一言だけ記しているのだ。基本的には会話の中で出てきた一言を書くようにしているけれど、あまり面白い会話がなかった日やそもそも人と話さなかったような日には、その日あった出来事の要点を書いていたりもする。とにかくたった一言――むしろその方が難しいくらいだけど、とにかく一言だけ書いておくと決めている。
 日記の役にはあまり立っていないという気はするけど、それくらいが私の精一杯なので仕方がない――真面目につけようとしたら三日はおろか三分で放り出すこと請け合いだ――。それにこの「一言日記」という形式は、結構これが思い出を留めるのにいいんじゃないかという気が、私はしている。
 例えば「ただじゃ済まないわよ!」と書かれている日記。就職を控えていた時期のものだ。この日、私は母と喧嘩した。別に家を飛び出すような大喧嘩ではなくて些細な言い争いに過ぎなかったけれども、翌日出先でハンドバッグの中を探したら、どうしても口紅が見つからなくて往生した覚えがある。せせこましい割には結構難儀な仕返しがくるものだと思い知って、それから就職して家を出るまでの間ずっと、私は洋服箪笥の隅にこっそり口紅を隠していたものだ。
 まあそんな感じで、結構思い出せることがあるのだ――流石に、何も書くことがなくて苦し紛れに「あー眠い」とか書いてある日記に関しては何一つ思い出せないし、実はそう言う適当な日記が結構多いのだけれども……。
 そんな中に「あしたはきのう」と書かれている日記がある。四年前の十一月九日。
 この日私は、友人の見舞いに病院に行った。

 ――病院の前庭には、小春日和の温かな陽光を浴びに出ている人たちが沢山いた。気温そのものはもう肌寒いくらい下がってきている頃だけれど、きちんと日が当たる場所にいればそう寒くはない。適度に陽光を浴びることで何か健康にいいことがあるらしいから、そのためかも知れない。
 車椅子の人がスロープを降りていき、ベンチではお爺さんお婆さんが話している。そんな中に一人だけ、際立って目立つ人がいた。
 長い綺麗な黒髪に上品な和服、整った顔立ちの女性。歳は多分当時の私と同じくらいで、二十歳になるかならないかだったと思う。その見かけの容姿にそぐわない集団――有体に言えばご老人方の話の輪の中に混じって、何やら楽しそうに話をしていた。遠くから見て、それがとても異様な様子に見えたのだ。
 妙なものに行き会ってしまったと思ったが、はたと気付くと見舞い帰りの私は惹き付けられるようにそちらに歩いて、失礼ですがお幾つですかと問い掛けていた。
 その人は突然の不躾な質問にも動じず、微笑んで少し首を傾げた。
「そうねえ、そろそろ二十二くらいになるかしらねえ」
 声も見た目どおり若々しくて、そのくせ話し方はちょっとお年寄りっぽい。おかしな人だな、とは思ったが悪い感じはしなかった。
 ただ今の返事は、ちょっと引っかかる。年齢は「くらい」とかいう曖昧な言い方をしないものだと思ったのだ。
「……二十二、くらい?」
「ええ。……わたしゃ年に五つくらいずつ、歳を取るんですよ。それも年を重ねていくわけじゃなくて、逆に若返っていくんです」
 彼女はどうということもなさそうにそう言った。勿論、そんな台詞は到底信じられたものではなかったから私は変な顔をした。それに気付いた彼女はくすくすと笑う。
「信じられないでしょう?わたしも初めはそうでしたよ。いつも通りの明日がくると思っていたら、ある日突然昨日に戻ってしまって、そのままどんどん昔に帰って。自分のことでなければ信じられないでしょうねえ」
「……」
 やっぱりこの人はちょっとおかしな人なのだろうか。視線にそんな色が混じっていただろうけれど、彼女は気に掛けなかったようだった。
「他の時間を生きている人と話している時だけは、前の続きを生きることができますけれどねえ。そうでないときはいつも、夢の中のように昔に遡っていくんですよ。もうここのところ毎日瓦礫の中で働いてねえ。もうすぐ空襲を思い出すようになるわねえ」
「空襲……」
 まさか、と思いながら問い返す。本当ならば、私どころか私の母ですらも知らない時代の話だ。
 けれど、
「ええ、……辛いことも沢山ありましたけれどねえ、こうしてみると懐かしいですよ」
 そう言って笑った彼女の目は……本当に長い年月を過ごしてきたかのように深かった。
 結局その日はそのくらいの会話しか交わさないで別れた。その後もう一度だけ、一週間後に私は彼女を見たのだが、恐ろしいことに彼女は一週間前よりも若々しかった。

 ……日記を閉じ、私は大きく息を吐いた。それから先のことはこの日記には何も書いていない。書いて覚えておいたらあの出来事の異様な感触を壊してしまいそうな気がしたからだが、生憎と全部そらで覚えている。
 彼女の死を知らされたのは、それから二ヶ月ほど後の一月半ば、スキーで足を骨折した別の友人の見舞いに行った時のことだった。病院内に設けられた日の入る談話場所で話していたお年寄りの一人が私を目に留め、彼女のその後のことを教えてくれた。
 その日の一週間ほど前、夕方に亡くなったのだという。手厚い看護を掻い潜って一体どこから持ち込んだのか、着物の胸には匕首が突き立っていたらしい。身辺の整理は全て済み、遺言状もしたためられていたそうだ。自殺……昔ふうに言えば『自害』だった。
 彼女は現代科学では考えられない症例として、病院側の意向で入院を続けていたという。私だったら症例研究のための実験対象になるなんてごめんだが、あの人には身寄りもなかったらしいからそれで協力する気になったのかもしれない。ついにそれが嫌になっての自害だったのか、と私は思ったが、彼女といちばん親しかったお婆さんは首を横に振った。
 想い人が亡くなった、と言っていたそうだ。戦争の間もずっと待ち続けていた想い人の戦死の連絡を、彼女は追体験したのだと。
 死んでしまうほどの悲しみ。
 この平和な世で身内を亡くすこともなく生きてきた私には、それは判らない感情だった。そしてそれを思う時、数奇も極みのような人生を送っただろう彼女が、私は少し羨ましい。
 変わらない毎日、小さなことで大騒ぎして辛うじて日記につけているようなこの日々を遡ることになったら、私は彼女のようにその運命を受け入れることができるとは思えない。戦争を繰り返せなどと言う気はさらさらないが、きっと毎日が色鮮やかだっただろう当時のことを思うと、ぬるま湯みたいな自分の暮らしがもどかしくなる。それでもいつも、後一歩が踏み出せなくて、リスクを恐れて立ち止まるのだ。
 ……だから私はこれからも、何も変わらず歩いてゆくのだろう。明日に昨日が巡って来る日に、限りない恐怖を抱きながら。




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